今月のお知らせ

12月 Decembre (2017)

                           Decembre (2017)

  Décembre :Les branches dépouillées de feuilles
  dessinent sur le ciel
  d'incroyables dentelles.
  La nuit vient très vite, le soir, il fait sombre...
  Et pourtant, tout là-bas,
  une lumière nous appelle : Noël !
  Et voici que nos espoirs se réveillent
  Nous allons, avec les bergers
  vers ce Petit Enfant merveilleux
  couché au chaud dans une bergerie
  Nous le savons porteur d'un amour sans limites
  Plus fort que toutes nos misères
  Enfant de Dieu !
  Et qui nous donne, à nous qui l'avons découvert
  "pouvoir de devenir, en Lui,
  Enfants de Dieu " (Jean 1 : 12 )
  "et nous le sommes" (1 Jean 3 : 1)
  

           (Sœur Marie- Hélène)

 

                           十二 月( 2017年)

12月:葉を落とした木々の枝は
目を疑うようなレース模様を
空に描く
夜が早く来て、夕方はうす暗い…
しかし、あの向こうの方で、
光が我々を呼んでいる:ノエル !
そして今我々の希望がよみがえる
行きましょう、羊飼いと共に
馬小屋の中で温かく眠っている
素晴らしい驚くべき小さな子供のもとへ
我々はこの子が
限りない愛をもたらす方だと知っている
我々の全ての惨めさを凌いで強い
神の子 !
この方を知り受け入れた我々に
"彼の内にあって、神の子達となる資格
を与えて下さる"  (ヨハネ1:12)
"私達は神の子と呼ばれるほどで、
事実その通りです"(ヨハネの第1の手紙3:1)

                      (シスター マリー・エレーヌ)

上映会「沈黙」12月10日(日) 14時 ~16時40分
Projection de « SILENCE» le dimanche 10 décembre de 14h à 16h30 au Centre.

遠藤周作の小説「沈黙」をマーティン・スコセッシが三十年かけて映画化。17世紀の日本におけるキリシタン弾圧の現実をポルトガル人の宣教師の目を通して描く。日本文化におけるキリスト教の難しさを徹底的に描いた傑作です。(日本語字幕 162分) 入場無料。

Martin Scorsese a mis près de 30 ans pour porter à l’écran le roman SILENCE de Shûsaku Endô. Le film montre la réalité de la persécution des chrétiens japonais au 17ème siècle à travers le regard d’un missionnaire portugais, et questionne la difficulté de la transmission du christianisme dans la culture japonaise. (version originale sous-titrée japonais. 162mn) Entrée gratuite.

クリスマス会 Fête de Noël
12月17日(日)午後3時より、クリスマス会を致します。(会場準備のため、午後2時からセンターは開けます。)
今回は趣向を変えて、ミニコンサートも致します(入場無料)。いつものように、デザートかおつまみを持ってきてくださると助かります。
<メニュー>
午後3時より、ミニコンサートの開始 *大体40分間ぐらいです。
*Matteo Contaldi (ギター) Marlen Mendoza-Khan (ソプラノ)   
*演目: « Espagne autour de Noël » : Musiques de Manuel de Falla,  F. Schubert, etc.
その後、会場を移動し(窓のある部屋)、クレーシュを囲んで皆様でクリスマスの歌をうたいましょう。歌の後に、歓談しながらお茶としましょう。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。
La fête de Noël le dimanche 17 décembre de 15h à 17h. Cette année, nous organisons une fête de Noël musicale, avec un récital de Duo guitare et voix Matteo Contaldi et Marlen Mendoza-Khan. Le récital « Espagne autour de Noël » avec musiques de Manuel de Falla, F. Schubert, etc. commence à 15h pour un programme d'environ 40 mn (entrée gratuite – libre participation aux frais). Après le récital, nous allons chanter ensemble les chants de Noël autour de la crèche. Ensuite, nous vous invitons à prendre un goûter. Je vous invite à venir nombreux, avec votre famille et vos amis, pour fêter ensemble le Noël !


 

故ピエール赤松淑郎氏に捧ぐ

いつの日か別るるものと知りながら
かくも悲しき鶴去りゆけば

 11月12日の朝ピエール赤松淑郎氏が、6日(木)に93才の長寿で永眠されたことを知った。あぁ遂に…一瞬、鶴のように長身痩躯でやさしいまなざしの面影が脳裡をよぎり、悲しさがこみ上げてきた。夜半から降り続く雨はこの知らせの前兆だったのか。万聖節に始まる11月は死者に捧げられ、その日のミサも今年相ついで亡くなられたパリ日本人カトリックセンター創立の恩人たちを偲ぶものだったが、思いがけず赤松氏の名が加わり、一同を驚かせたのである。家に戻ってから御遺族にお悔やみの電話をかけた。アンヌ・マリ未亡人のお話では、御自宅のベッドで夫人やお子様、お孫様たちに囲まれ安らかに息を引きとられたという。「本人の希望で病院ではなく自宅で」とその言葉に力をこめ、続けて「主人は満足して逝ったことと思います」と声がかすれた。人間としてこのように幸せな最期があるだろうか。すべてを全うし、皆に惜しまれつつ赤松氏は旅立たれたのである。
それ程までに慕われ、今は故人となられた方の人柄とはどのようなものだったのであろうか?「誠実」の一言に尽きよう。不安に満ち、はじめてパリの土を踏んだ日本人で赤松氏と出会いお世話になった人は多いと聞く。その中の数人は帰国後感謝をこめて懐かしそうに氏の思い出を書いておられる。私もその恩恵を受けた一人だが、この大人物について知ることはごく少ない。謙虚な赤松氏はご自分のことを余り語られなかったからである。かくれた善行の数々が折にふれ明らかにされ、人々は新たに感じ入るのである。
ここで僭越ながら御本人に接し、交わした会話を通じて私の知り得た範囲で、赤松氏のプロフィールを述べてみたい。
周知の如く赤松氏は哲学者の日本人を父に、文学専攻のフランス人女性を母として生まれた日仏混血児である。御両親はご尊父のパリ留学時代に結ばれ、その後日本に住まわれた。御実家は京都の仏光寺と伺っている。赤松家の子供たちは、外では日本語、家ではフランス語の生活だったそうだ。「それはフランス人の母に対する父の思いやりだったのでしょう」話が小学校時代に及び、偶然私の母校 東京西片町の誠之小学校の大先輩であることがわかった。「でもそのあと転校したので卒業まではいませんでしたけどね」多分暁星小学校に移られ中学へと進まれたからであろう。教育は東京で受けられたようだ。その中に第二次世界大戦が始まった。この暗黒時代のことについて氏は口を噤んでおられる。戦時中敵国となったフランス人女性を妻とした日本人家庭の立場はほぼ想像できよう。御苦労も多かったことであろう。平和が戻り、赤松氏は一時日本の文部省に勤められた。未亡人となられた母堂は二人のご子息を伴い、1948年フランスに帰国された。氏は当時20代はじめの青年だった。
パリで母堂はかの有名な物理学者キューリー夫妻の娘夫婦の研究実験室で働きながら生活を支えられた。当時パリ在住の日本人物理学者、湯浅年子氏は後年自叙伝の中で述懐しておられる。「赤松未亡人はラボ(実験室)で働きながら二人の御子様を立派に上品に育てあげられた」赤松氏の就職が決まり、アンヌ・マリ夫人との間に4人のお子様が生まれ、幸福な家庭が築かれた。敬虔なカトリック信徒の氏はそれだけに留まっていなかった。フランス人有志と在住外国人との友好会Cercle St Jean-Baptisteの日本部会世話役としてボランティア活動を始められたのである。日仏の血をひき、両国の文化と言語に通じた赤松氏はまさにこの仕事の適任者で貴重な存在だったに違いない。それだけに責任も負担も重かったことであろう。本職の勤めも多忙の上、まだ幼い子供たちを抱えながらよく両立されたものと思う。その陰にはよき伴侶たる夫人の理解と献身的な協力があったことは云うまでもない。
他の部会が色々な理由で活動の停滞していく中で、存続したのは赤松氏担当の日本部会だけとなった。フランス人協力者たちが亡くなったり病気したりして、実質的には氏が企画から月々のプログラム発送まで一手に引き受けられたのである。親日フランス人とすべての日本人に門戸が開かれていた活動の中には、パリ市内の教会や史跡見学だけでなく週末にはバス旅行によるフランスの教会、修道院や史跡めぐりがあり、「赤松旅行会」として親しまれ、多くの参加者を集めた。一般の観光バス旅行と異なり、単なる各地方の風景、史跡、風物、名産品見物に終わらず、それよりもっと広範囲にわたり密度の高いもので、赤松氏個人の発する温かみに包まれていた。
バスに乗り込むと運転手の隣のガイド席に座り、マイク片手に「モシモシ」で始まるあの呼びかけの声を覚えている方は多いであろう。該博な知識の持ち主である氏の説明は微にわたり、必ず「参考文献資料」も持参された。いわば野外の大学講義のようなもので、熱心にノートする「学生」たちもいた。フランス人参加者のために氏は一々同時通訳もされたのだった。ひときわ背の高い赤松氏は健脚だった。一行の落ちこぼれや迷子を拾い集めるのは夫人の役だった。誠に息の合った御夫婦といえよう。氏は「ここまでやってこられたのはアンヌ・マリの協力があったからです」と夫人を労う言葉も忘れなかった。帰りのバスの中でも氏は一人々に声をかけられ、出発の時の知らない同志が別れる時は大きな一つの家族となっていた。
 数年前、私たちが催した赤松氏のボロンティア活動50周年記念祝賀会の席上で、御自分がこの道にはいられた動機について語られたことがある。「自分と関わりのある日仏両国に、何か少しでも役立つことをしたいと思ったのです」その小さな輪は広がり、日仏にかかる大きな美しい虹の橋となった。虹の橋桁をエンジニアの精密さでしっかりと架け渡したのが赤松氏であった。一方旅は続いていた。
体力的に野外の旅行が無理と自覚された氏は、屋内の旅行に切り換えられた。つまりカトリックセンターでの「フランスの教会を訪れて」講演シリーズである。長年の旅行会で撮られた膨大なスライドや写真のコレクションの他、文献資料や力学的説明の為自作の教会天井部の木製模型も持参された。会場も何時も聴衆で満員だった。私たちはその続きを楽しみに待った。だが今年に入ってから休講が続き、突然杜絶えたのである。
他人への奉仕に生涯の大部分を捧げ、人間の生き方を身を以って教えて下さった赤松氏は逝かれた。消えることのない灯を私たちの胸に伝えて。その灯を大切に守り周囲の人々や次の世代まで及ぼしていくように、というのが私たちへ残された氏の最後のメッセージではなかろうか。
ピエール赤松淑郎様 長い間ありがとうございました。
心から御冥福をお祈りします。
(ドベルグ美那子)

 


      

聖体礼拝の感想

聖体礼拝の感想

2017年10月25日に慎太郎さん佐智子さんご夫妻、浜田さん、オードさん、理矢子さん、ホセさん、奧野さんと一緒に聖体礼拝に参加させていただきました。 センターにみんなで集合し地下鉄にて移動しました。移動の最中もイエズス会の発祥の地を通り、その際、慎太郎さんから説明を受け大変勉強になりました。 現地に到着するとロープウェイを使ってサクレクールの頂上まで移動します。これですと簡単に頂上まで上がることができご高齢の方やお子さんなどにも安心して今後参加していただけるような気がしました。 宿泊の手続きも慎太郎さんや理矢子さんなど慣れた方達のおかげでスムーズに完了しシスターから簡単な講義のようなものが始まりました。フランス人の少女達のグループと一緒に講義を聞きましたが難しい内容の講義を真剣に聞く少女達の姿も素晴らしく、私は後から慎太郎さんに詳しく説明していただきましたが、大変興味深い内容のお話をされており、この国のキリスト教の教育の水準の高さに驚きました。
その講義が終わると大聖堂にて22時からのおミサに与かりました。そしておミサが終わってから約一時間、慎太郎さん佐智子さん、浜田さんらとご一緒させていただき聖体礼拝をさせていただきました。真夜中の静まった教会の中での時間はまるでイエス様が優しく包んで下さるようなひとときでした。自然と心が開かれてイエス様とじっくりと会話する、そんな時間を持てました。普段たくさんの人の中でお祈りするのとはまた違った貴重な体験ができたように思います。
聖体礼拝の後は各自部屋に戻って休みました。他の参加者の方は真夜中や早朝にお祈りされていた方もいて各自が好きな時にイエス様と一緒に時間を過ごすことができ他のではないかと思います。 翌朝7時から朝の御ミサにあずかり、参加した全員と近くのカフェで朝食を取りました。このような貴重な体験をさせていただき、センターの皆様に心より感謝申し上げます。
川岸紀恵

アンジュ―の聖十字架への巡礼
Pèlerinage à La Croix d’Anjou

光にみちた巡礼

2017年5月6日の朝、パリ日本人カトリックセンターの有志はパリ・モンパルナス駅よりTGV numéro 8813 にて、聖十字架への巡礼の途につきました。ご多聞に漏れず列車は遅れて出発しましたが、私は久しぶりのTGVに胸を躍らせ、窓外の景色に旅情を誘われました。連休のせいで満席の列車は無事にAngers Sr.Loireに着き、駅前から乗合バスに乗り、目的地のBaugé en Anjou のお城の広場に到着。そこにSr.Fabienneの笑顔の歓迎を受け、町の中央を通って、この巡礼の宿舎Communauté des Filles du Cœur de Marie(マリアの聖心の修道会)に案内されました。大きくて美しい建物の各々の部屋-清潔で行き届いた心遣いのある-に旅装をとき、揃ってLe Bon Roi René の築いた古城の見学に出掛ける。その後、1643年にAnne de la Girouardièreが創立したHospiceの古い薬局。17世紀の薬と陶器の壺の説明を聞き乍ら見学し、当時の再現された病室を見学する。夕方にはエムリック神父様とミサ待者のコロンタン君、須貝夫妻も加わり、総勢15人は食堂についてテーブルの上の赤い花の描かれた小石とBienvenue!とBon Appétit!のカードを見つけて感激の声をあげました。これはSr.Fabienne が自ら描かれた由。神父様の優しいご配慮のお蔭で家族のような暖かいおもてなしを受け、幸せでした。食後、サロンに修道女13人と私達が集い、総長Sr.Moniqueからビデオを拝見し乍ら聖十字架と修道院創立の歴史を伺う。シスターズ各々が経歴や仕事の内容の自己紹介をなさり、私達もフランス語で自己紹介-予期せぬ事に戸惑う。町は静かで旅の夜を安眠する。
5月7日(日)は、修道院の礼拝堂の一隅にてシスターズと車椅子の身障者達、町の人達の集うごミサに与る。エムリック神父様の凛々とした日本語の司式。私達の日本語の朗読と聖歌に真摯に与る人々の姿に思わず感激の涙が頬を伝わりました。何と心に響くミサであったことか。その後巡礼の目的の聖十字架への表敬の口づけ。この巡礼のハイライト!光に満ちた清々しい経験。
アペリティフをいただき乍らシスターズとの親睦を深めました。午後は近くの古い教会を訪問。この夜はフランス大統領選挙の結果が出て、Emmanuel MACRON氏が史上初の弱冠39才の大統領となる。喝采!
5月8日(月)は早朝、シスターズの歌の祈りに参加して、清らかな歌声に心洗われ、つづいてミサに与りました。この三日間は、光に満ちた、輝かしい日々であり、シスターズと参加者の方々との心の交流に充ちていました。お庭で記念撮影をして、Angersへ。TGVで無事にパリ着。神に感謝して旅を終える。その後も何かふんわりとしたものに包まれているようでした。


*聖十字架La Vrai Croix d’Anjou-Baugé
AD327-328年頃 Sainte Hélène がゴルゴタの丘で三つの十字架を見つけ、その一つが病人を活かす奇跡を起こしたので、キリストの真の十字架と確信され、紆余曲折を経て現在に至る。この十字架の二つの各面に金のキリスト像、その上に各々、鳩と子羊の飾りをつけ、十字架の五ヶ所の木の先には真珠と堅玉で飾られている。真の十字架の価値としては、フランスではパリのSte Chapelle(最初はSte Chapelle の二階の正面のステンド・グラスの前に安置されていたが革命の時にパリのノートルダム大聖堂へ移され、爾来、そこに安置されて毎月、初金曜日の午後に公示される) の次に当たり、世界のキリスト教圏では11番目に位置する。1790年9月3日、Hospice des incurable の創立者、Anne de la Girouardière がご加護を祈り、これを買い求めチャペルに安置した。以後巡礼が絶えない。

*Communauté des Filles du Cœur de Marie de Baugé(マリアの聖心の修道会)
この修道会はAnne de la Girouardière(1740-1827)によって創立される。修道会は大きい建物にチャペルを有し、Rue de la Girouardière を挟んだ別棟に立派なMaisonがあり、百人の女性障害者と六十人の老人を収容し、奉仕を続けている。BaugéはMaine et Loire 地方の温暖な土地であり、近くに大きな森を控えて、環境は素晴らしい。巡礼者は一泊三食つきで約 33ユーロで宿泊できる。                     (牧はる子)

ルルド巡礼の感想

 パリ日本人カトリックセンターは4月3日から6日、ルルド巡礼を企画し、10名の巡礼者のグループが参加しました。初めてルルドを訪れた学生の井上佳苗さんが感想文を書いてくれました。

ルルド

ルルドの泉にて

ルルドに向かう列車の窓の外を眺めながら、幼いころ聖心女子学院で聞いた奇跡の泉の物語を思い返していました。まだ小さかった私は、どこか遠い国のおとぎ話のように聞いたのを覚えています。昨年の夏、日本のビデオショップで偶然見つけたルルドを舞台にしたフランス映画を見てから、そのおとぎ話が急に現実のものに感じられ、私もルルドに行ってみたいと密かに願うようになっていました。フランスに来て数ヶ月後、これまた偶然、パリ日本人カトリックセンターのサイトを見つけ、そこでルルド巡礼の募集を目にし、行くしかないと直感しました。こんなにも早く叶うとは、嬉しい反面、まだ心の準備ができていない自分もいました。

ルルドに着くとまず感じたのは燦々と輝く太陽でした。山の中にあるため、雨がよく降ると聞いていましたが、滞在中は天気に恵まれ、ルルドの町とマリア様に迎え入れられたようでした。

ルルドの町は他の多くの巡礼地と同様に、商業化されていました。町にはたくさんのおみやげ屋さんやホテルが並び、ルルドを題材にした映画だけを扱う映画館さえありました。それでも周りを囲むピレネーの山々や広々とした空を見ると、ベルナデッタが生きていた時代を思い起こすことができました。彼女は自然の中ですくすくと育ったに違いありません。一方で、4月にも関わらず手袋とマフラーが必要なほど寒く、ベルナデッタ一家は身を寄せ合ってその貧しさと寒さを耐えている様子も想像されました。滞在3日目には、ベルナデッタ一家が破産し、住む家を失った後移り住んだ“カショ”と呼ばれる小さな家を訪れました。ベルナデッタが住む以前は牢獄として使われていましたが、換気や衛生上悪いとして、廃止になった場所だそうです。そんな場所に住んでいた少女。聖母が現れた当時、彼女は読み書きもできず、三位一体の原理も知らず、初聖体さえ受けていなかったそうです。なぜ彼女に聖母はご出現なさったのか。この問いは彼女に会う人だけでなく、彼女自身も何度も自分に問いかけたことでしょう。ベルナデッタは若くして亡くなりますが、晩年このように言っています。「聖母が私に現れたのは、私がこの世で最も貧しく、最も無知な者だったからです。」この言葉からは逆に彼女の賢さや謙遜さが伝わってきます。彼女の育ったルルドの町、そして小さな家を目にする
ことで、聖女ベルナデッタの心を少しだけ垣間見れました。

さて、ルルドといえばやはり泉です。多くの病人を治癒してきたという泉。私自身、体があまり強くなく、ルルドはまた一層特別な場所でした。4月とはいえ気温が低く、冷水に入るのには勇気がいりましたが、どうしても泉の水に入りたいと思い、聖母がご出現なさった洞窟の奥で沐浴をしました。沐浴の前、十字架を切りマリア様の祈りを唱えます。祈りを唱えた後、心の中で私を治してくださいとお願いしました。そして一気に水の中に。あまりの冷たさに、思わず声が出てしまい、心臓が止まるのではないかと思うほどでした。水の中で聖母マリアと聖女ベルナデッタにゆっくりと祈りを唱えます。沐浴を終えた後、冷たさの衝撃でぼーっとしながら、水に入った時に出たううぅっという低い声はなんだったんだろうと考えていました。普段聞いている自分の声とはまた違った低い声。あれはひょっとすると私の中にあった悪いものが水に清められて出て行く声だったのかなと、ふと思いました。泉の水に浸かった後は、心持ちか自分の体も気持ちも軽くなったような気がしました。

滞在中はプロセッションと呼ばれるろうそく行列に毎晩参加しました。フランス語や英語、スペイン語など数カ国語で行われる、洞窟に現れた聖母マリアへの熱い祈り。言葉は違っても、同じマリア様への祈りを唱えていると思うだけで、ここにいる人たちと一つになれた気がしました。100年以上前、一人の少女を通して起きた不思議な出来事。マリア様は彼女を通して何を私たちに伝えたかったのでしょうか。幼い頃聞いた奇跡の泉の物語はもうおとぎ話ではなくなっていました。
(2017年4月21日 井上佳苗)

アジアにおける和解と平和 
La Paix et la Réconciliation en Asie

フランス・ベルギーに在住する韓国、中国、日本の修道者、神父、神学生および一般人を中心とした、アジアにおける和解と平和のグループが定期的に集まっています。次回は 9月20日(水)午後六時から、会場はパリ日本人カトリックセンター(Centre catholique des Japonais 4 Bld Edgar Quinet 75014 Paris)です。特にテーマを決めず、持ち寄りの食事を共にし、これからのこのグループのありかたについて自由に話し合いたいと思います。
参加を希望される方は湯沢慎太郎までご連絡ください。
 Un groupe pour la réconciliation et la paix en Asie s’est constitué autour des religieux(ses), des prêtres, des séminaristes et laïcs de la Corée, de la Chine et du Japon. La prochaine réunion aura lieu le mercredi 20 septembre à 18h, au Centre Catholique Japonais de Paris, 4 Bld Edgar Quinet 75014 Paris. Cette fois, nous allons partager un repas amical, et pour échanger librement sur la manière de continuer notre groupe. Chacun apporte son plat favori. Si vous souhaitez y participer, contacter Shintaro YUZAWA.

 

               

「生け花教室」の作品です。

Les oeuvres des élèves de la classe de Ikébana.

 



Emmaüs  SOS !! Boîte de lait のキャンペーン "Deux boîtes par semaine pour sauver un enfant de la mort ! " アフリカの貧しい子供たちの命を救うために、砂糖入りコンデンスミルク1缶(397g)をセンターまでお持ちください。Pour aider les enfants qui souffrent de la malnutrition en Afrique, apportez-nous les boîtes de lait (397 g, concentré et sucré), lorsque vous avez l'occasion de passer au Centre.


平和を実現する人は幸い ~ 戦後70年司教団メッセージ (抜粋)
Heureux ceux qui réalisent la Paix
– Message de la conférence épiscopale japonaise pour le 70ème anniversaire de la fin de la guerre (extrait) -
 日本カトリック司教団は、特別に平和のために働く使命を自覚しています。それは何らかの政治的イデオロギーに基づく姿勢ではありません。わたしたちは政治の問題としてではなく、人間の問題として、平和を訴え続けます。この使命の自覚は、もちろん日本が広島、長崎で核兵器の惨禍を経験したことにもよりますが、それだけではなく戦前・戦中に日本の教会がとった姿勢に対する深い反省から生まれてきたものでもあります。
1986年9月26日、東京で開催されたアジア司教協議会連盟総会のミサにおいて、白柳誠一東京大司教(当時)は次のように述べました。
「わたしたち日本の司教は、日本人としても、日本の教会の一員としても、日本が第二次世界大戦中にもたらした悲劇について、神とアジア・太平洋地域の兄弟たちにゆるしを願うものであります。わたしたちは、この戦争に関わったものとして、アジア・太平洋地域の2千万を越える人々の死に責任をもっています。さらに、この地域の人々の生活や文化などの上に今も痛々しい傷を残していることについて深く反省します」。
 これは一個人としてのことばではなく、司教協議会会長として司教団の総意を代表して述べたことばでした。さらに日本司教団は戦後50年と60年にあたっての平和メッセージの中で、戦前・戦中の教会の戦争責任を反省し、その上に立って平和への決意を表明しています。
                                              2015年2月25日 日本カトリック司教団


 

 

東日本大震災被災者のための祈りⅡ

父である神よ、
すべての人に限りないいつくしみを注いでくださるあなたに、
希望と信頼をこめて祈ります。
東日本大震災によって今もなお苦しい生活を送り、
原発事故によって不安な日々を過ごす人々の心を照らし、
希望を失うことがないよう支えてください。
また、亡くなられた人々には、永遠の安らぎをお与えください。
すべての人の苦しみを担われたキリストがいつもともにいてくださることを、
わたしたちがあかしできますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

(2014年2月18日 日本カトリック司教協議会認可)

 

 


 

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