第十回 フランスの巡礼地 

ヴェズレー 聖マグダレナ大聖堂  

La Basilique Sainte-Madeleine de Vézelay

 

巡礼の地

どこからやってきても、ヴェズレーは突然地平線に現れる。いつ何時であろうと、どこからであろうと目に することの出来る大聖堂は、丘の上にどっしりとその姿を現し、岩礁に乗り上げた巨大な船、世界が再び命を取り戻した後に残されたノアの箱舟のようである。 というのは、実際に生まれ変わりにかかわってもいるのだから。巡礼者が十字架の下で「至福の丘」の叫びをあげるとき、そのことが結局、彼がヴェズレーを見 出し、勇気が再び沸き起こるのを感じ、聖域で体験することになる命の取り戻しの前触れとなっている。

地理的条件も、この地の受けた役割を如実に示している。高みに向かってそびえ、どこからでも見えるこの地は、大切なものとの出逢いのために取り分けられた地景として映えている。だから、12世紀以来絶えることなく続く巡礼で、この丘に向かって足だけでなく霊的にも歩みを進める人々の感激は想像に難くない。

マリア・マグダレナを称える

9世紀末に修道院がマリア・マグダレナの聖遺物を受けいれると、ヴェズレーはキリスト教世界の重要な土地の一つとなった。こうして、聖なる丘に向かって集まる大きな動きが生じ、巡礼の伝統は12世紀にその頂点に達するのである。聖遺物がヴェズレーにあるという驚くべき事実を何かと説明する伝説はさほど重要ではない。むしろ考慮すべきは熱意、それもほぼ3世紀に渡ってヴェズレーをキリスト教四大巡礼地の一つとした信心である。四大巡礼地とは、エルサレム、ローマ、サンチアゴ・デ・コンポステラ、そしてヴェズレーをいう。

聖遺物に敬意を払うことは、遺骨の偶像化ではない。僅かに残されたものの彼方に聖性の証を認めることで ある。それは、謙遜と信心の歩み、祈りを力づける歩みである。聖遺物の前に、巡礼者は教会の非常に忠実な僕たちの取次ぎを求めにやって来る。この僕たちの うちでマリア・マグダレナは輝かしい位置を占めている。それは彼女が回心して罪を赦された女であるからというよりも、むしろキリストの復活を最初に証しし た人であるからである。最初の証人にして最初に信じた女性。それゆえに聖アウグスチノをはじめとする初期のキリスト教著者は、マリア・マグダレナを教会の 象りとさえ呼ぶのである。ヴェズレーの大聖堂を建てた人たちは、ブルゴーニュの聖地を築きながら、このことを思い出していたに違いない。

マグダラのマリア : イエスに七つの悪霊を追い出してもらったマグダラのマリア、イエスによって復活させられたラザロの 姉妹ベタニアのマリア、ルカ福音書に登場する無名の罪深い女といわれるマリア。果たしてマリア・マグダレナとは誰であろうか? イエスにつき従っていた複 数の女性たちが、ごく早い時期に彼女に混同されてしまった。だが、それは大したことではない。罪の告白と赦しによって、あるいは最初の証人として知らせに 走った復活への信仰によって、彼女はすべての信仰者のすばらしい模範なのである。

パレスチナから漂流してプロバンスに流れ着いたマリア・マグダレナは、ラザロそして他の聖なる女性たちともども、以来サント・マリー・ドゥ・ラ・メールSaintes-Maries-de-la-Merと呼ばれる地に上陸したという。サン・マキシマンSaint-Maximinに葬られるまでの間、彼女はサント・ボームSainte-Baumeの洞窟に引きこもっていたらしい。ヴェズレーの創立者ジラール・ドゥ・ルシヨンGirart de Roussillonの偉勲詩を信用するならば、二人のヴェズレー修道士がそのサン・マキシマンに大切な聖遺物を探しにやって来たということなのである。

巡礼者の教会

ヴェズレーでは聖堂は群集や巡礼者、行列を迎えるために造られている。皆が集まる聖堂玄関、地下聖堂と 聖遺物を囲んで周回する場として内陣裏まで延長されたゆとりある側廊、数多くのミサ聖祭を可能にする後陣脇祭壇などである。また、この教会は光の道行きと しても建てられている。玄関の暗がりで祈りを始めた巡礼者たちの最後の歩みが、内陣に至って光を浴びるようになっているのである。けれどもこれは旅路の終 点として造られたのではない。実際、建築者たちはこの聖堂を、タンパンや柱頭彫刻のメッセージを通して、教えの場、熱意を取り戻す場とする手腕をもってい たのである。

今日でも、メッセージに勇気付けられたヴェズレーの巡礼者は、立ち上がって旅路を取り直し、大タンパン に描かれた弟子たちのように、頂いた貴重な恵みを分かち合うために世界に向かって再び旅立つように招かれている。なぜなら、ヴェズレーはヴェズレー自身の ためにあるのではないからである。

サンチアゴへ

来る、そして旅立つ。招きと派遣のこの二重の動きは、すべての巡礼の核心であるように、ヴェズレーの建築と彫刻においても中心に置かれている。何世紀にも渡って数多くの巡礼者たちが黙想してきた大タンパンの構成に息吹を与えているのはこの二重のはたらきに他ならない。彼らの多くがサンチアゴ・デ・コンポステラに向かった。丘のふもとの使徒ヤコブに捧げられた教会l’église d’Asquinsで聖使徒を称えてから旅を続けるのが大事であるといわれている。 サンチアゴ・デ・コンポステラ巡礼 : 中世全時代を通じ、ヨーロッパの北からまた東から、貝殻を身に付けた巡礼者たちがヴェズレーに集まっていた。サンチアゴ・デ・コンポステラへ向けて、ヤコブの大巡礼を始めるためである。実に、ヴェズレーはパリParis、ルピュイLe Puy、アルルArlesとならんで、ピレネーの彼方(スペイン)で一つになるフランス四街道の起点の一つであった。現在も毎年数百に上る巡礼者が貝殻を身に着け、ある者は徒歩で、ある者は馬で、またある者は自転車で旅を始めるのである。

現代の平和と熱意

中世の最盛期の後も、ヴェズレー史の暗い時代でさえも、多くの人が慎ましく内省のためにこの地を訪れ続けた。本格的にヴェズレーの巡礼が再興されたのは19世紀も末になってからである。パリとサンスSensからもたらされたマリア・マグダレナの聖遺物が、宗教戦争と大革命の間に汚されていたものと置き換えられた。1946年、聖ベルナルドの十字軍説教の8世紀後、第二次大戦の傷跡はまだ大きく開いたままであったが、再び到来した平和を感謝するヨーロッパ大巡礼が組織された。この大巡礼は1986年に再度組織され、以来巡礼者の集まりは欠けることがない。

毎年722日、マリア・マグダレナの祝日が盛大に祝われる。聖遺物が地下聖堂から取り出され、行列して運ばれ、大聖堂は壮大な典礼の熱気を取り戻すのである。

キリスト教の大祝日や、グループ、小教区、指導司祭を持つ組、種々の共同体などのイニシアチブによって、ヴェズレーの大聖堂はいつも生き生きとした巡 礼地であり続ける。このように、感覚や霊的・典礼的表現の多様性をとおして、この地の力と美しさは、熱意の源や信仰への歩みを捜し求めるすべての人を惹き つけ、集めるのである。

けれども、歩みを共に一つになった群集の他に、絶えずヴェズレーを訪れる、ひっそりと孤独な巡礼者、また小さな、慎ましい巡礼者のことも忘れてはならない。苦しみと秘密を荷物に、彼らは今日も赦しと内的な平和を求めてここにやって来る。

しばしば特別な期待もせずにこの地にたどり着いた観光客や見学者について言えば、彼らもまたヴェズレーでは自分たちが巡礼者であることに気付く。大聖 堂は巡礼者ものであり、その光の慰めの中に、温かい黄金色の石積みのもとで、また静かな美しさのうちに巡礼者を迎えてくれる。これこそ12世紀にこの大聖堂を建てた信者たちが望んだものである。

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