年間第27主日

マタイによる福音 21・33〜43
2005年 10月 2日


『藤原義嗣フランシスコ・ザビエル様からのお便り』

パリにいらっしゃる兄弟・姉妹の皆さん、はじめまして。
私は日本の下関に住む藤原義嗣フランシスコ・ザビエルと言います。
今日はパウロ神父様が「パリにおられる日本の信者の皆に何かメッセージを!」とおっしゃるので、ペンをとりました。
私は1998年頃パウロ神父様に初めてお会いしました。パウロ神父様はもともと韓国のチョンジュというところの教区司祭でいらっしゃいまして、私が当時務めておりました日本語学校の近くの小教区の助任司祭でいらっしゃいました。クリスチャンでも何でもなかった私がなぜパウロ神父様に出会うことになったかというと、神父様が日本語を習うために私の務めていた日本語学校に通われるようになったことがきっかけでした。初めは私のクラスではなかったので、よく知らなかったのですが、朝早いクラスにちょっとおもしろい生徒さんがいるということで同僚の先生の間では神父様のことが少しうわさになっていました。後で私のクラスに入ってこられてから神父様であることも知りましたし、朝早いクラスの生徒さんでしたから、授業の終わったあとは、一緒に食事にも行ったりしました。その後、私は要理の勉強をして韓国のカトリック教会で受洗したのですが、今思うと神父様には特に「要理の勉強をしなさい」とか「洗礼を受けなさい」とかいった強い勧めのようなものはありませんでした。気付いたら毎週日曜日の夕方の青年のミサに与るようになっていて、聖歌隊にも加えてもらっていましたし、いつの間にか信者になっていました。
もちろん神父様は外国で一人で暮らしている私をいつも気づかってくださいましたし、辛いとき励ましてくださいました。でも司祭という立場ではなく、ごく普通の人間としての神父様のやさしさだったように思います。
ですから、逆に「この人の信じている宗教なら僕も信じてみよう」という気持ちになれたのかも知れません。その後、パウロ神父様は軍隊で司牧するために従軍司祭として軍宗教区へ派遣されます。初めて陸軍士官学校へ面会に行って軍服姿の神父様を見たときには、何とも言えない複雑な気持ちになったことを覚えています。将校になるための訓練が終わって、軍隊の中にある教会に配置された神父様は、大方の予想を裏切って軍隊生活に適応され、司牧に邁進されました。その活躍ぶりは『教会とチョコパイ』という神父様の書かれたエッセイにもまとめられていますので、今度また機会があれば少しずつ翻訳してご紹介したいと思います。
私は一足早く昨年の春に日本へ引き上げたのですが、パウロ神父様は四年間の軍服務を終え、さあいよいよチョンジュ教区に戻って小教区の主任司祭になるのだろうなと思っていたら、な、なんとパリへ行くと言うではありませんか。司教様も酷なことをなさるものです。白いごはんとキムチ、そして味噌汁があれば十分という神父様を、何もパンとワインの国フランスへ送ることはないじゃないですか。ある日、パリから電話をいただきました。「フランシスコ!日本語でミサをやらなきゃならないから手伝ってくれ。」神様は本当に酷なことをなさいます。韓国人の神父をカトリックの本場フランスへ派遣して、フランス人の司牧に当たらせるばかりでなく、日本人のためにミサをしろとおっしゃるのですから・・・。

私はパウロ神父様との出会いを通じて神の働きを感じざるをえません。まだはっきりと目で見たことはありませんが、確かに神は私たちのうちにいらっしゃって、聖霊が私たちを一つにせんと働いています。お陰で私も、こうしてフランスにいらっしゃる日本人の兄弟・姉妹の皆さんと共に神の救いのみわざへと多少なりとも加えていただくことができるのです。パウロ神父というキリストの韓国人の弟子が、どうか遠いフランスの地でも、健やかで幸せのうちに、キリストの手となり足となって働くことができますように、皆さんとお祈りしたいと思います。そして、今日のミサの中でパウロ神父様と共にどうか皆さんも、神に導かれる喜び、神の手であり、足であるという実感を得て、神への賛美と感謝をささげていただければと思います。故国を離れ、遠く外国で暮らす皆さんの上に、大きな神のいつくしみと祝福がありますように。

アーメン

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