2003年9月27日(土)

 パスカルによる恩寵(めぐみ)ついて


講師:西川宏人先生(上智大学文学部名誉教授)

パスカルによる恩寵について
西川 宏人  
2003年9月27日(土) パリ・カトリックセンター
にて


今日のテーマについては、去る7月湯沢会長から、昨年のように講演をと依頼されましたので、「カミュの『異邦人』とキリスト教」という題と、「パスカルによる恩寵について」と二つの案を提示しましたところ、彼は即座に今日のタイトル「パスカルによる恩寵について」を選ばれました。それはこのカトリックセンターの活動により相応しいテーマだと判断されたからでしょう。したがって、できるかぎり現代の問題として考えてみたいと思います。
さて、「恩寵」という表現は、フランス語では、ご存知のように昔からGRACEですが、日本語では古くは聖寵、ついで恩寵、その後恩恵と改められ、今日では「めぐみ」と言い換えられています。「神のめぐみ」と限定されればいいのですが、ただ「めぐみ」だけでは、「どうかおめぐみを」とか「めぐんでやる」といった日常語の響きのせいで、少し軽いイメージになるように思われます。これは私だけの感想かもしれませんが。そこで今日はあえて「恩寵」という古めかしい用語で統一したいと思います。もちろん、必要に応じて「恩恵」あるいは「めぐみ」という表現を用いることもあります。
パスカルの恩寵に関する考え方については、私がパスカル研究に着手したころから、ずーっと気になっていた問題でありまして、まだ若輩のころ、今日のMesnard版全集が刊行される前でしたので、かなり不完全なPleiade版で読んで学会で発表し、学会誌に掲載されたことがありますが、それで終わったわけではなく、今日に到るもなお私にとって重要な問題であり続けています。これは、「パスカルの恩寵観」といった知的探求の問題であるばかりでなく、私自身の「生la vie」に関わる問題でもあります。ですから、「恩寵」の問題は、単に教義上の問題であるのみならず、日々の「生」をどう捉えるかという人間として本源的な問題でもあると考えています。今日の話がそこまで踏み込めれば幸いです。
前置きはこのくらいにして、本題に入りましょう。まず恩寵という言葉の問題から話を始めます。
日本語で恩寵という意味の、フランス語のGRACEという単語が仏訳聖書の中でどのように用いられているか、調べてみました。Jerusalem版が今ではCDになっていまして、簡単に調べることができます。旧約聖書では173回、福音書では16回、新約聖書全体では144回使われています。聖書全体の分量から見ますと、使徒言行録以後の新約聖書における使用頻度が高いのが目立ちます。この点について、あるいはその理由についてはあとで触れます。
さて、旧約聖書の初出は創世記6章8節のMais Noé avait trouvé grâce aux yeux de Yahvé.「しかし、ノアは主の好意を得た」という個所です。神が、地上に悪がはびこったのをなげいて、例の大洪水を起こさせたという話の導入部になりますが、人間を創造したことを神が後悔したとき、ノアが神のgraceを得たということは「特別の配慮」、まさに日本語で「めぐみ」を得たことになります。その後の個所でもこのtrouvé grâce aux yeux de Yahvé.がしばしば見られます。
少し飛んで、出エジプト記の15章13節ではTa grâce a conduit ce peuple que tu as racheté, ta force l'a guidé vers ta sainte demeure.「あなたは慈しみをもって贖われた民を導き、御力をもって聖なる住まいに伴われた。」という風に「慈しみ」と訳されています。ここでは「慈愛」というほどの意味で、やはり「めぐみ、恩恵」の意味になりましょう。
さて福音書での初出はマタイ15章23節のカナンの女の個所です。カナンの女が悪霊に憑かれた娘を癒してくれとイエスに求めるが、イエスが何も答えないので、弟子たちがイエスに叫びます。《 Fais-lui grâce, car elle nous poursuit de ses cris.》「この女を追い払ってください。叫びながらついてきますので」このFais-lui grâceが「この女を追い払ってください」の意味であるかどうか、欽定訳英語聖書ではSend her awayとなっています。また、パスカルと同時代のサシ訳聖書では、"Accordez-lui ce qu'elle demande, afin qu'elle s'en aille ; parce qu'elle crie après nous.となっていて、注として?印がついてRenvoyez-làとありますが、このはsens litéralの略号と見られます。つまりサシ訳ではsens spirituelもしくはsens figuréとしてこのように訳したと考えられます。フランスでは伝統的にサシ訳の精神を受け継いでいるのでしょう。とにかくマタイではこの個所だけです。
 つぎに、マルコ15章8節ではLa foule etant montee se mit a demander la grace accoutumee.「群集が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた」これはお祭りのたびに囚人を釈放することになっていた習慣を指していますので、ここでは「恩赦」の意味になっています。マルコもここだけです。
つぎにルカの受胎告知の場面、1章28節−30節ではIl entra et lui dit : " Rejouis-toi, comblee de grace, le Seigneur est avec toi. "(…)30 - Et l'ange lui dit : " Sois sans crainte, Marie ; car tu as trouve grace aupres de Dieu.「天使は彼女のところに来て言った"おめでとう、恵まれた方、主があなたとともにおられる"(…)天使は彼女に言った。"マリア、恐れることはない。あなたは神からお恵みをいただいた"」
福音書ではルカになって初めて本来の「神からの恵み、恩恵」の意味で用いられていますが、これは、受胎告知の物語で始まるせいなのかも知れません。
ちなみに、ヨハネでは、5回出てきますが、まず1章14節では、le Verbe s'est fait chair et il a habite parmi nous, et nous avons contemple sa gloire, gloire qu'il tient de son Pere comme Fils unique, plein de grace et de verite. 「言葉は肉となって、私たちの間に宿られた。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理に満ちていた」とあり、続く16、17節では、de sa plenitude nous avons tous recu, et grace pour grace. Car la Loi fut donnee par Moise ; la grace et la verite sont venues par Jesus Christ.「私たちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みのうえにさらに恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエスを通して現れたからである」と文字通り「神の恵み」の意味に用いられています。ほかの2回はgrace aの構文での用法であって、直接恩寵の意味となっていません。
ざっと見たところ、先にも触れたように福音書よりも、新約聖書全体の中では使徒言行録以降の方に恩寵の意味での用例が多く見られるのは、使徒たちがイエスの、つまり神の恩恵、恩寵を強く意識し、それを伝えるべく努めたからだとも考えられます。
ここで、プロテスタントの神学者の高尾氏の『共生への道を探る(上・下)』という本の趣旨を紹介しておきましょう。この本は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教という4大宗教について紹介しているものですが、基本的には各宗教の平和的共存を説いたものです。しかし、ここで紹介したいことは、ユダヤ・キリスト教に関わる本質的な問題です。イエスの時代のファリサイ派、サドカイ派については、律法に忠実な聖職者集団としてよく知られていますが、なにゆえそのような傾向が生じたのかについて、高尾氏は出エジプト記の問題から説き起こしています。
彼によれば、古代イスラエルにおける律法遵守の思想は、エジプトにおいて奴隷状態から無条件に解放してくれた「神の祝福」への「報恩の業」であったのが、時代を経るにしたがって神の「祝福を得るための条件」のように変化していった。そこにファリサイ派、サドカイ派などの律法遵守がすべてに優先する体制を生み出すにいたったと言います。
そうした体制に対してイエスは限りない神への感謝に基づく「愛」の教えを説きました。
「イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くしてあなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイ22・37‐40:レビ記19・18)と。
よきサマリア人のたとえ話にあるように民族を超えた隣人愛の教えは、旧約にもありますし、それに由来するイスラム教にも受け継がれているそうです。
たしかに、レコンキスタ以前のイスラム支配下のスペインにおいて、ユダヤ教徒もキリスト教徒も平和共存していたと、歴史書は伝えています。それぞれの教派が旧約の世界の「感謝と愛」の教えに立ち戻るなら、平和のうちに共生しうる道が見出せるかもしれない、というのが高尾氏の本意です。
ここで、もう一度GRACEというフランス語に立ち返りますと、確かにこの言葉には「感謝、感謝の祈り」という意味もあります。つまり神から無償の贈り物としての「恩恵、恩寵」を戴くことと、人間の側からの「感謝の祈り」とが同じGRACEという単語の中に包摂されているということには、深い意味があるように感じられます。神からの「恵み」を一方的に、あるいは受け身的に受け取るだけではなく、それに対する「感謝の祈り」を捧げることによって、初めてこのGRACEという言葉の持つ全体的・包括的意味が完成するのではないでしょうか。ちょうどテニスや卓球のラリーのように、受けたボールは必ずしかるべき場所に返球することによってはじめてゲームもしくは練習が成立するのと同様です。
さて、ここからパスカルの問題に入ります。実は、13年前、この同じセンターでパスカルの「火の夜」の体験(これは彼の決定的回心の契機だとも言われます)のお話をしましたが、彼のこの体験に関して、彼の妹ジャクリーヌから姉のジルベルトに宛てた手紙を、お手元のプリントに紹介しておきました。1654年12月8日といいますと、パスカルの「火の夜」(11月23日)を体験してからわずか2週間のちの手紙ということが分かります。
ジャクリーヌの姉ジルベルトへの手紙
1654年12月8日
……私たちにとってとても大切な人のなかで神様の行なわれているわざについて、お姉様がこれ以上ご存じないのはよくないことだと思います。でも、その人ご自身からその内容をお知らせするのがよろしいかと思います。そのほうが、いっそうご納得いただけるでしょうから。時間もありませんので、いまお伝えできることは、せいぜいその人が神様のご慈悲によって、神様にすべてを捧げたいという強い熱意に燃えておられるということだけです。けれどもどのような生涯を送るかはまだ決めてはおりません。その人は、一年以上も前から社交界を非常に蔑視するようになり、社交界の人たちにもほとんど耐えられないほどの嫌悪感を抱くようになりましたが、すぐに沸き立つご気性ゆえ、今度もひどく行き過ぎたことになるのではないかと案じられましたが、何ごとも穏便に行動なさっておられますので、私は全面的に希望を寄せております……。サングラン神父様のご指導にすべてを委ねようとしておられます。神父様さえお引き受けくだされば、幼な子のように素直に従うことでしょう。でも、まだご承諾くださいませんが、最終的にはお断りにならないと期待しております。
その人は、長いことご健康が勝れず、以前にも増して具合がよくないようですが、それだからといってご計画を取り止めにはなさいません。そうしてみますと、以前のさまざまな理屈がほんの口実にすぎなかったことがわかります。彼が、私のようなものにまで謙虚で従順な態度を示されるので、驚いてしまいます。結局、その人の内部で働いているのが、もはや生来の精神力ではないということが、はっきりと見て取れるということだけで、もうこれ以上申し上げることはございません……。どうか以上のことは他言をなさらないでください、その人にも、ね。       かしこ。  
修道女サント・ユーフェミー
この「大切な人」というのが彼女の兄ブレーズ・パスカルであることは容易に分かることですが、「神様の行なわれているわざ」というのは、兄ブレーズが9月末ころからジャクリーヌを訪ねて来て、神から見放されている苦しさを訴えていたのが、最近になってすっかり様子が変わって、明るくなり神にすべてを捧げてもよいというような様子になっていることを、表現しているわけです。私たちは、11月23日の「火の夜」のパスカル自身の体験を知っているだけに、彼の変貌が、こうした神秘的体験に基づくものであることを容易に理解できます。しかし、そうした事実を知らなくとも、サント・ユーフェミーことジャクリーヌにはそれが神のわざ、つまり「恩寵」の働きによるものであると理解できたわけです。そのようなspirituel「霊的」な風土にいました。この手紙の後半で「その人の内部で働いているのが、もはや生来の精神力ではない」と書いているのも同じことの表現です。
そして、社交界の寵児であったブレーズ・パスカルが、美辞麗句・虚礼に飾られたそうした社会にむなしさを覚え始めたのが、妹の1月25日付の次の手紙に詳述されています。

九月の末頃のことでした。その人が訪ねてこられて、私にお心の内を話されましたが、それはそれは痛ましいご様子でした。そのお話というのは、「自分は重要だとされている仕事に携っており、あらゆることが自分を世俗に引きつけようとするので、自分がそういう事柄に愛着を抱いていると思われても当然である。しかし、社交界の馬鹿騒ぎや気晴らしがすっかり嫌になってしまったし、自分の良心にも絶えず責められるので、こうしたものをすべて捨て去りたいと思う。その思いがとても強いので、そうしたすべてへの執着をすっかり断ち切ってしまったが、こんなふうに断ち切れたことは今までなかったことだし、それに近い気持になったこともない。ところが、神様のほうからはまったく見捨てられていて、少しも神様のほうに惹きよせられる感じがしない。自分は力を尽くして神様のほうへ向かおうとしているのだけれど、自分の理性や利害心に駆り立てられて、最善と思うほうへ向かうのであって、神様の霊に動かされているのではない。このように身の回りのあらゆるものから離脱している自分が、神様について以前と同じような気持を抱いていたら、どんなことでもできるのにと思う。それにあの頃は、神様が与えてくださるお恵みにも、促しにも逆らっていたのだから、きっと恐ろしいほどの執着心をもっていたに違いない」 ということでした。この告白を聞いて、大変驚きましたが、またそれに劣らぬ喜びも味わいました。そのときから私は、それまでは持ったこともないような希望を抱き始めました。

ここでブレーズ・パスカルが「神様のほうからはまったく見捨てられていて、少しも神様のほうに惹きよせられる感じがしない」と打ち明けているのは、もちろん「火の夜」の体験の前のことです。しかも、彼はこの時点で懸命に「神のほうへ向かおう」としているのに、神から見捨てられているという実感を抱いています。社交界では、多くの人々から若くして数々の発明発見をしたことで、賞賛と崇敬の眼で見られるいわば寵児であったはずなのに、ちょうどモリエールの『人間嫌い』のアルセストのように人々の巧言令色・社交辞令に愛想を尽かし、真実のもの、真に頼れるものとしての信仰の道を求めようとしたのに、いくら「力を尽くして」努力しても、いくら祈ろうとしても、一向に神のほうから眼を向けてくれない。これはどういうことでしょうか?
パスカルはここで、信仰の道も、祈りさえも人間の技ではないということを実感していることを告白しています。
こうした体験、もしくは実感は、彼の「恩寵」に関する文書に、単なる知識としてではなく彼の体験を裏付ける証拠としての読書が投影もしくは反映されていると言えましょう。
その一例が、アウグスティヌスから「神は、堕落の後は、人間が神に近づくのが神の恩寵のみによってであり、また、人間が神から離れないのが神の恩寵のみによってであるようにと、お望みになった」という文言を共感しつつ書き記していることです。言うまでもなく、ここで言う堕落とは「楽園追放」のことであって、つまり人間すべてがこの状態にあるということです。表現はちがっても同じような意味の文章は、この「恩寵文書」のなかに多く見られます。そのいくつかの例を見ながら検討したいと思います。

フルゲンティウス『救霊予定と神の恩寵の真理』第2巻第4章、「したがって、善を欲せよと私たちに命じられるときには、私たちの義務が示されている。しかし、自分の力ではその義務たる善をもてないので、その戒めをお与えになった神にそのための助力を祈り求めるようにと告げられているのである。ところが助力を祈り求めることは、神が私たちのうちに働きかけて、祈り求めようという意志を生じさせてくださって初めて可能となる」。聖フルゲンティゥスは、神が私たちのうちに働きかけて、善をもつための助力を祈り求めたいと欲するようになさらないかぎり、私たちがその助力を祈り求めないのだとはいいません。そうではなくて、神が私たちのうちに、善をもつための助力を祈り求めようという意志そのものを生じさせてくださらないかぎり、私たちはその助力を祈り求めることができない、と言っているのです。

ここでフルゲンティウスの文章を引いてパスカルが言わんとするところは、私たちが神の掟を守り、善行をなす場合にも、それは神の助けつまり恩寵の働きが背後にあるからであり、その恩寵を願い求める意志さえも神が与えてくれるのだということです。それゆえ、同じフルゲンティウスの文章『手紙4』第2章から、「というのも、かの癒し手たる神が私たちに祈り求めたいという欲望を生じさせてくださるのでなければ、誰がしかるべく祈れようか」と、祈ることさえ神の支援が必要だという文言を書き記します。
私たちは、少なくとも祈ることだけはわれわれの意志次第だと考えたくなります。しかし、アウグスティヌス、フルゲンティウスを引用するパスカルは、彼自身の1654年秋の苦しい体験に基づいて、神からの支援がない限り真の意味で祈ることさえかなわないのだと言い切ります。彼が引用するアウグスティヌスの言葉をさらに紹介しておきます。

L「私たちが祈るとき、祈ること自体が神の賜物であるということを、彼らはわかろうとしない」
「祈りそれ自体が神の恩寵のひとつである」。

こうして見ますと、祈り続けることが可能なのは、そこに「恩寵」の働きもしくは助けがあるということになります。
ここで、二つの文学作品の例を挙げましょう。皆様よくご存知のシェークスピアの『ハムレット』とメリメの『マテオ・ファルコーネ』です。昔『ハムレット』を読んだとき、(実は高校時代この作品の一部を演劇部で上演したことがあるほど、一時期夢中になったことがあります)ハムレットの叔父、つまり父を暗殺して母親を寝取ってしまった宿敵の叔父が、いつも家来に守られていて隙を見せないのに、あるときたった一人で祈っている場面に出会います。ハムレットは迷った末彼を刺し殺すのを止めてしまいます。キリスト教についてまったく無知であった私は、この優柔不断な彼が歯がゆくてなりませんでした。たとえ卑怯者といわれようと、父の敵を殺すことは許されるはずだと見做していたからです。しかし、彼はそのとき祈っている叔父を殺せば彼が天国へ行ってしまうから、それでは真の仇討ちにならないと考えたからこそ、殺せなかったわけです。決して優柔不断だったからではありません。このことが理解できたのはパスカルの「恩寵文書」を読むようになってからです。
もう一つはメリメの『マテオ・ファルコーネ』という短編です。これは、最近も新聞やテレビで話題になっているコルシカの話です。この島は警察に追われた者たちがマキMaquisと呼ばれる山の潅木地帯に逃げ込むと絶対に捕まらないし、羊飼いたちが食べ物をくれると伝えられているという前え置きがあります。このマキから2キロほどのところにマテオ・ファルコーネという義侠心(おとこ気)に富んだ男が、妻と独り息子と3人で住んでいます。彼は、「窮鳥懐に入らずんば……」の心意気の持ち主で、同時に射撃の名手の多い当時でも彼に匹敵するもののないほどの名人として知られた人物です。結婚して3人の娘が生まれましたが、彼には不満でした。やっと生まれた男の子に期待を込めてフォルテュナート(富、幸運)という名をつけました。ある日この独り息子をおいて夫婦で山の林間の空地に羊の様子を見に出かけます。その留守に、軍隊に追われた男がマテオ・ファルコーネの家と知って逃げ込んできます。彼はその少年にかくまってくれるよう頼みます。少年はためらった後、コインを貰ってそこに積んであるわら束のなかに隠れるように言い、負傷して血の跡がしたたっているところに砂をかけてカモフラージュします。そこへ、マテオ・ファルコーネの遠縁にあたる曹長(adjudant)のGambaが、6人の兵隊を連れて犯人を追ってきます。この少年に犯人の行方を尋ねますが、彼はシラを切り続けます。しかし、経験豊富なGambaには幼いフォルテュナートのウソが見え見えです。彼は、少年に時計をやるからと誘惑しますが、初めのうちは少年はガンとして応じません。しかし、あまりにしつこい誘惑に負けてついにわらの山を眼で教えます。逮捕された犯人を連れ去ろうとしたところへ、マテオ・ファルコーネが戻ってきます。彼は、自分を逮捕しに来たのかと銃を構えます。Gambaが愛想良くフォルテュナートのお蔭で犯人を逮捕できたので、彼の手柄を大いに上のほうへ報告しておこう、と告げますが、犯人逮捕に自分の息子が役立ったことに彼はいっそう不機嫌になります。さて、その犯人が俄か作りの担架に載せられて連れ去られるとき、「裏切り者の家!」とののしります。マテオ・ファルコーネの顔色が変わります。さらに息子の持っていた時計を妻が取り上げると、彼はそれを岩にたたきつけて微塵に壊してしまいます。そして、哀願する息子を連れて、山のくぼ地(ravin谷あい)行きます。そこで、その少年が知っている限りの祈りをさせたのち、「神がお前を赦してくれるように」と言って銃を構えて引金を引きます。そしてあとを追ってきた妻に「裁きをした」「彼はキリスト者として死んだ」と言い、ミサの準備をするように告げます。
たとえ幼い子供でも一旦かくまう約束をした以上、それが守れないようでは、マテオ・ファルコーネの息子、いや人間として赦せないということでしょう。なんともやり切れない物語ですが、ここで自分の息子に祈りをさせて殺すところに、いわゆるキリスト教の「祈りの教義」、つまり祈っている限りどんなに恥ずべき所業をしたものでも、天国へ行けるという教えが根付いているということではないでしょうか。
それは、祈っている限り「恩寵」の支えがあるということを、人間の側から確認できるということをも意味しています。16世紀の免罪符が示すように、何か眼に見える善行をすれば、人間の尺度で測れる行為によって天国が約束されるという、救霊の問題を人間の尺度で測ろうとする発想とは次元が違います。
一体人間の救い、救霊とは何でしょうか? 私たちの自由意志による関与の余地はあるのでしょうか? 使徒たちの第一人者とまで言われるペテロでさえ、恩寵を失った際、三度イエスを否認しました。ここでフランス中世の小話を紹介しましょう。(・・・・・・)
さてペテロのこの例は、パスカルが『プロヴァンシァル』の中でたびたび引用していますが、これは聖人と言われる人でさえ、恩寵の助けがない限り過ちを犯すという好例です。こうした見方について、自由意志を否定していると批難する立場の人々がいます。おそらく多くがそうだろうと思われます。
ところが、パスカルは自由意志を否定してはいません。「自由意志」の捉え方が違うと言ったほうが分かりやすいかもしれません。過つことのない全知全能の神が、人間に求めること、もしくは働きかけることに間違いはないはずです。それを、人間が自らの意志(つまり自由意志)で実行するなら、それは善です。自由意志によってそれを行わないときに罪となるわけです。神からの働きかけ、つまり恩寵がないときには、人間の行為は過ちにつながります。これを、平面的に捉えるなら、神が人間に善を求めなかったのだから、人間には責任がないという、18世紀的反論に到りましょう。しかし、この点について親と子供の関係になぞらえてみましょう。
親が、わが子にかくあれかしと、いろいろ命令し指示しても子供が従わない例はよく見られることです。しかし、たとえば親が、いつも楽しげに読書をしてるとしましょう。そして二人の子供のうち姉のほうも読書好きになりますが、妹のほうは泥にまみれて遊びまわるほうが性に合っています。親は決して子供たちに読書を強制はしませんが、読書できる状況は用意しています。そのうちに妹のほうも読書に興味を持つようになり、やがて夢中になりました。この妹は彼女の「自由意志で」読書に親しむようになったといえましょう。しかし、完全に彼女の自由意志だけでそうなったのでしょうか? もし親がそのような環境と雰囲気を整えていなかったら、彼女は読書の喜びを見出せずに終わったかもしれません。
神の「恩寵」と人間の自由意志の関係は、ちょうどこのようなものではないでしょうか。このように捉えることは、人間がもし善なる行為を行ないえたとして、それは「恩寵」の助けがあったからに他ならないと、考えることに繋がるわけです。こうした物の見方は、ひとえに人間のおごりを、傲慢さをたしなめることになります。
皆さんの中はに、Dunoyer神父様のお導きで、信仰の道に入られた方も多くおられることでしょう。先日、神父様のお話を伺った折、入信者について神父様は「ぼくは一度も薦めたことはないよ。」とおっしゃいました。そのとき、ぼくはパスカルの恩寵に関する考え方と神父様のご指導のあり方とに深いつながりを見た思いがしました。おそらく神父様は、ご自分が導いたのではなく「神のご意志」によるのだ、とおっしゃりたかったのでしょう。神父様を慕ってセンターに来られるかたがたについても、おそらく神父様は謙虚に「神様のお導きだ」とおっしゃるかもしれません。
『ヨハネによる福音書』15章16節には、「あなたたちが私を選んだのではない。私があなたたちを選んだのである。」とありますし、『マタイによる福音書』6章8‐13では、イエスが、「あなたがたの父は、あなたがたが願う前に、その必要とするものを知っておられるからである。だから、あなたがたはこう祈りなさい。」と主の祈りを教えています。
祈り続けることさえも、恩寵の助けが必要だとされますが、ひるがえって考えると、人間が祈り続けている状態は、少なくとも神の助けがあることが人間の側から確認できるということになりましょう。さきほどのアウグスティヌス、フルゲンティウスの文言に示されていたように、祈ることにさえ神の助力が必要だからです。
このように祈りにさえ神の恩寵が働いているという見解は、教会の教義を離れて人間の実相(現実の有りよう、真実の姿)を考えるときにも、適切な把握を可能にしてくれます。先ほど述べました例の、鶏が鳴くまえにペテロが3度イエスを否認したという話は、聖人でさえ恩寵の助けが途切れたときには、過ちを犯す好例としてしばしば引用されます。人間が、己の力を過信したときとか、欲望にかられたときなどしばしば自分の力量、あるいは能力、Porteeを忘れがちです。そうした傲慢に陥ったときしばしば過ちを犯します。
そのよい例が水俣病と言われる災害だと思います。湯治場をかかえた一寒村だった水俣村が、村の発展のために良かろうと判断して、日本窒素の工場を誘致したところ、工場の発展とともに寒村が町となり、市に発展していく過程で、有機水銀による災害を引き起こす結果となりました。明治・大正・昭和と経済的発展を国是とした、国家社会の風潮に流されていくうちに(そこに人智に対する過信があったわけですが)予想だにしなかった惨事を招いてしまいました。
しかし、ここでも、人間が謙虚に、あるいは素直に自己の過ちを認めて、それを改めることが出来たなら、事情は少しは異なっていたと思います。それは、日本窒素の工場長が、猫が踊る(痙攣したことでしょうか)のを見て、もしや有機水銀のせいでは? と感じたとき、彼が適切な発言をしていれば、被害はあそこまで広がらなかっただろう、と言われているからです。人智への過信に続いて、自分の地位を守るという自己愛(これはパスカルの時代の表現で今日ではエゴイズムに近いと思います)に徹した結果が、被害をさらに拡大してしまいました。その後は、国、会社の自己保存を目的とした対応のせいで、今日なお被害者たちは苦しんでいます。
しかし、ここですべての人がそうであったわけではないことを強調しておきたいのです。熊本大学医学部の原田助教授は医学者として身を挺して患者側の立場に立った証言をし続けました。そのためさまざまの圧力・妨害を受け、ついに助教授のまま定年を迎える結果となりました。彼が信仰者かどうかは存じませんが、彼こそ恩寵に支えられて職責を全うしていると言えましょう。
学生時代にパリ・ミッション会のSueur神父様にフランス語で聖書を読んで戴いたことがありますが、この講演の準備をしているとき、その神父様の言葉を思い出しました。「富士山に登るとき、山梨県側から登っても、静岡県側から登っても頂上に達すれば同じことです。仏教から入っても、キリスト教から入っても、真理は同じです。」という意味のお話を繰り返し話してくださいました。この神父様のお言葉の意味で、原田医師が恩寵に支えられていると言ってもあながち間違ってはいないと思います。
ここで、『パンセ』の一節を紹介しましょう。われわれが自惚れに陥りやすい弱さのあることを指摘した断章です。

現象の理由。欲望と力は、あらゆるわれわれの行為の源である。欲望は自発的な行為をさせ、力は不本意な行為をさせる。(L.97-B.334)
現象の理由。人間の弱さは、人が作り上げるかくも多くの美の原因である。たとえば、リュートを上手に弾けることは、われわれの弱さゆえにのみ悪である。(L.96-B.329)  

この二つ目の断章は、昨年も引用しましたので、ご記憶の方もおられましょうが、もう一度説明させていただきます。この断章は、最初から、つまり彼の原稿が発見されたときから、解読に異論が生じ、版によっては草稿原稿に語句を補ったり、書き換えたりして、さまざまの読み方がされてきましたが、近代版では、ラフュマ版が初めてパスカルの原稿どおりに解読しました。しかし、従来の日本語訳ではこのような訳とは違った意味になっています。つまり、一言で言って「上手に弾けないことが悪」という意味にとっています。この読み方は、ごく一般的な意味になるので、ここに引用する必要のない断章になってしまいます。
しかし、パスカルの筆跡どおりに読むならば、まったく別の意味になります。つまり、人間の欲望は、自らの何ものかが人に勝っているからといって自慢し、増長慢に陥りますが、それが悪だというわけです。たとえば、リュートをただ上手に弾けるだけなら、それは自己満足の表われです。それが、人間の弱さだと言いたいのです。もし、弱さ、つまり自己満足、自己顕示欲からのみ「上手に弾ける」なら、それは誉められたことではないわけです。彼の考えでは、そうした人間の欲望に促されての行為は、「悪」となります。たとえば、聖歌を歌うためにリュートを上手に弾くのなら神を称えることですから、「悪」とはなりませんね。こうした推論を裏付けてくれるのが、次にあげる断章です。
傲慢。好奇心は多くの場合虚栄に他ならない。人が知ろうとするのはそれについて語るためだけである。さもなければ、それについて決して話さず、ただ見る楽しみだけで、人に伝える楽しみもなしに、人間は航海などしないであろう。(L.77-B.152)
虚栄はこれほど深く人の心に錨を下ろしているので、兵士も、従卒も、料理人も、人足も、それぞれ自慢し、称賛してくれる人たちを得ようとする。そして、哲学者たちでさえそれを欲している。また、それに反対して書く人たちも、それを上手に書いたという栄誉を欲する。彼らの書いたものを読む人たちもそれを読んだという栄誉が欲しいのである。そして、これを書いている私も、おそらくその欲望を持ち、これを読む人たちもおそらく…… (L.627-B.150)

このように、彼は自分が表現する行為すら醒めた眼で見つめる姿勢を保っています。それでは、彼が最初からこのような謙虚な人だったでしょうか? 少しさかのぼって彼の足跡を見てみましょう。彼が、計算器を発明した折、スウェーデンのクリスティナ女王に宛てた献呈文が残っています。このクリスティナ女王という女性は、ご存知の方も多いと思いますが、有名なグスタフ・アドルフ2世の娘で戦死した父親のあとを継いで女王になりましたが、大変に学問に関心が深く当時のヨーロッパの学者たちを招聘して、学問の話を聞くのを喜びとしていまして、再三にわたる招聘に応じてスウェーデンに渡ったデカルトはその寒さのために病死したと言われています。彼女は、女王という地位にいることに飽き足らず、地位をいとこに譲って、ローマに移住してその地で他界しました。パスカルは、女王たる彼女が学問にも精通していることを指摘して、現世における最高の地位にある「王者」と、知的世界における識者とをそれぞれの次元に置ける支配者になぞらえて、次のように表現します。

私の考えに誤りがなければ、権力においてと同様、学識においても頂点を究めた方々は、王者と見なしうるのであります。天分のあいだにも、身分のあいだと同じ位階が存在いたします。臣下に対する王の権威は、精神が自分より下位の精神に対してもつ権威の象徴にすぎないと私には思われます。すなわち上位の精神が下位の精神に対して行使する説得の権利は、政治的統治における命令の権利に相当するものなのです。この第二の支配権は、精神が肉体よりも上位の秩序に属すものであるがゆえに、それだけいっそう高い秩序にあるとさえ私には思われます。

彼は、自らを精神世界、知的次元での「王者」と見做しているわけで、当時の彼の意気軒昂ぶりが窺えます。この文章には「謙虚さ」などとても見られません。この手紙は、1652年6月の日付になっていますので、彼がまだ社交界にドップリ浸かっていたころのものですから、その2年後、つまり1654年11月23日の「火の夜」の体験による彼の変貌ぶりがいかに大きかったかが理解できます。
その具体例が、1657年の姉のペリエ夫妻宛の手紙の一節です。
あの人たちは、少なくとも私には、神の真理の確立のために何かを耐え忍ぶという神から与えられた幸運を、ひどく悪用しているように見えるのです。自分たちの真理を確立しようとするときでも、彼らはきっと同じように行動することでしょう。彼らは、ある者に光をお与えになった神が、別の者にはそれを拒まれるのだということを忘れているようです。また、神は彼らの勢力拡大を阻むために障害物をお置きになりましたが、彼らは、光を拒まれた人びとを説得するに際して、それとは別のもうひとりの神に仕えているように思われます。障害に対してぶつぶつ不平をいうことで神のお役に立っていると思い込んでいるのです。(…)
しかし、何ということでしょうか。人びとは、あたかも自分たちが真理を勝利に導くという使命を帯びているかのように振る舞っているのです。実際は、私たちには真理のために戦うことだけしか許されてはいないというのに。征服欲は生まれつき自然に備わっているものなので、それが真理を勝利に導くためという口実の下に隠されているときには、人びとはそれらをしばしば取り違えてしまい、実際は自分の栄光を求めているのに、神の栄光を求めていると信じ込んでしまいます。障害物をどのように耐え忍んでいるか、というのがこれら二つの態度を見分ける最も確実な徴となるように思います。

われわれの「善を行っているのだ」「社会のために貢献しているのだ」「神の御意志を実行しているのだ」等々、だからそれを妨げるものは「悪」なのだとか、だからそれを遂行すためには「すべてが許されるのだ」といった驕りに、厳しい批判が加えられています。「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。」(出エジプト記20:7)と旧約にはありますし、マタイでは「私に向かって『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。私の天の父の御心を行う者だけが入るのである。」(マタイ7:21)という文章の後に続いて「かの日に(…)『主よ、主よ、私たち御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇蹟をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、私はきっぱりとこう言おう『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、私から離れ去れ』」とイエスは厳しく戒めています。以上述べてきたパスカルの考え方の背後には、このような聖書の戒めがあったわけです。それはまさに、「目的は手段を正当化する」という発想への批判でもあります。
ここで、再び「恩寵」の問題に戻りますと、パスカルが、人間が善なる行為を行なうには必ず神の恩寵という助けが必要だと言い、人間の自由意志による行為が、よき結果を生むに到った場合は「恩寵の助け」があったのであり、その逆の場合は神の助けがなかったのだ、とまで言い切るのは、彼自身の痛切な経験、反省に基づいているということは、これまでの説明で了解していただけたことでしょう。そして、その背後には、人間の自惚れ、欲望、傲慢さをたしなめ、おのれの限界を知る慎ましさ、謙虚さを勧める姿勢が読み取れます。これで、彼の恩寵に関する見解が、単にアウグスティヌスなどを読み漁った知的成果によるのでないことも、ご了解戴けたかと思います。
ここで、私は先に引用した『パンセ』の一節を借りて終わらずにはいられません。
虚栄はこれほど深く人の心に錨を下ろしているので、兵士も、従卒も、料理人も、人足も、それぞれ自慢し、称賛してくれる人たちを得ようとする。そして、哲学者たちでさえそれを欲している。また、それに反対して書く人たちも、それを上手に書いたという栄誉を欲する。彼らの書いたものを読む人たちもそれを読んだという栄誉が欲しいのである。そして、これを書いている私も、おそらくその欲望を持ち、これを読む人たちもおそらく……
そして、この話をしてきた私もおそらく……