イエスとムルソー
―カミュ『異邦人』について―
西川 宏人
2005年5月15日(日) 於:パリ・カトリックセンター
カミュの『異邦人』に関しては、サルトルの「『異邦人』解説」以来多くの考察が上梓されてきました。サルトルは、ムルソーを不条理の人間、つまり不条理に抵抗する無垢の人間として説明します。因習と儀礼に支配された人間社会におかれた無垢の人間は排除されずにはいない、というわけです。
@「その主人公は善人でもなく悪人でもない。道徳的でもなければ、背徳的でもない。このような範疇はこの男には適していない。(…)「世界は(完全に)合理的でもなければ、非合理的でもない」というカミュ氏の文言を、パスカルなら留保なく支持しないだろうか。《習慣》と《気晴らし》とが人間の眼から「その虚無・遺棄・不十分・無力と空しさ」を覆い隠すことをパスカルはわれわれに示していないか。」(サルトル「『異邦人』解説」窪田啓作訳人文書院版『シチュアシオンT』83頁Le temps moderne誌1943年2月、Situations I所収)
サルトルの指摘を待つまでもなく確かに私たちは習慣とか慣例に従って判断しがちです。というよりも私たちの眼がそうしたフィルターを通して物事を見ることになれてしまっているからです。たとえば初めて外に出たよちよち歩きの子供が路傍の小さな花を見てその美しさに声を上げたとき、その花を毎日見ている大人はその姿を「子供だから」と微笑ましく思うだけで、その花の控えめな美しさには気づきません。豪華なランや菊花展の見事な大輪の菊の花の美しさに感動する眼を持っていても、路傍の名もない小さな花の美しさに感激する瑞々しい感受性は失っているのかもしれません。このように私たちは多くの場合ある種の固定観念、既成概念によって美醜、善悪、適不適を決めがちです。無垢の人間は、自然人でもあります。彼は決して自己を偽りはしません。彼が、アラブ人の殺害を、「相手がナイフを抜いて刃向ってきたからだ」と自己防衛の論を張ることもできただろうが、彼は正直に「太陽のせいだ」と言いました。これは、法廷で通用する言葉ではありません。しかし、彼は自己を偽ってまで言い逃れをするつもりはなく、正直にその時の彼の状況を述べたわけです。これが無垢の自然人の姿です。
正不正に関しても、地域、時代によって変わってきましょう。パスカルがA「ピレネーの彼方の真理は、こちら側では誤謬である」(L60-B294)と喝破したように、同じ現象に対しても、場所により、時期により、また状況により判断は異なるものです。
これは昔の人に聴いた話ですが、山梨県の東京に近いある村落では、家の主人が瀕死の床にあるとき、その主人に息のあるうちに近隣の人たちを招き、ご馳走を出して、にぎやかに歓談するのだそうです。それはその主人がどれだけ多くの人に慕われていたか、どれだけ多くの客を招くだけの富を築きえたかを知って満足して往生できるということだそうです。この話など、まさに特定の地域の習慣が物事の適否を定めている好例だと言えましょう。「所変われば品変わる」ということです。
ここで改めて『異邦人』を取り上げるのは、この作品の後半でそれまで平静に状況を見つめていたムルソーが、死後について語る司祭に向かって突然激しく反論する場面があるのに、英語版の序文で作者が、「私は、この人物の中にわれわれに相応しい唯一のキリストを描こうとした」と述べているのは何故かという疑問からです。
また当時の朝日新聞の特派員にカミュが語ったところによれば、B「真実に仕えることは危険なことであり、時には死を賭しても仕えねばならない。ムルソーの場合は、いわばキリストの場合と同じだ(…)」(『朝日新聞』1952年1月15日付「カミュ会見記」)というわけです。つまり作者はムルソーの処刑を通してわれわれにイエスの「裁くなかれ」のメッセージを喚起しようとしているのかもしれません。
そこで、まず、ムルソーが登場人物をどう呼んでいるかについて考えて見ましょう。鈴木忠士氏が固有名詞で呼んでいる人々と、役職あるいは地位で指している人々とに分類しています。
CCeleste、Thomas Perez、le vieux Salamano、Marie Cardona、Raymond Sintes、Emmanuel、Massonなどそれぞれ名前で語られる人物はムルソーが人間として関心を抱いている人々です。しかし、養老院のConcierge、directeur、会社のpatron、juge d’instruction、avocat、president、journalistes、procureur、aumonierなどはいわば彼の対岸にいる人物たちだといいます。
しかし、作者がこのように名前をつけた人物たちと社会的地位で指示する人物たちとを分けているのが、それだけの意味しかないのでしょうか? ここで二つの事柄を取り上げましょう。一つは、すでにお気づきでしょうが、創世記の冒頭で神が「光あれ」と言ったので光が存在し、水が天上と天下に分かれ、名称を与えることによって諸々の物が存在することになったという話です。次は、RacineのPhedreの第一幕第三場で、道ならぬ恋に懊悩するフェードルに侍女エノーヌがそのわけを問いただしていくうちに、フェードルは血筋や地位について述べるが名前を言おうとしない。しかしついにエノーヌが「イポリットさま?」と名前を発する。するとフェードルが「お前がその名を言った」なじるように言う。これは名前を発することによってその道ならぬ恋の相手が存在してしまうということではないでしょうか? つまり創世記が述べているように、名称を与えれば存在するということになるわけです。裏返すと相手を名前で呼ぶことは、相手の人間としての存在を認めることになるわけです。当たり前とおっしゃるでしょうが、それだからこそ、ナチスは収容所において囚人たちに番号をつけて番号で呼んでいました。これこそ人格を否定し、生あるうちからその存在を否定していたことになります。番号にしておいたほうが、あらゆる処理に好都合だからです。
昔教師になったばかりの頃、50人もの学生の出席を取っていると、授業時間が短くなってしまうので、出席を取らずに授業をしていましたが、あるとき授業が済んでから一人の学生が教卓のところにやって来て「出席を取ってください」と言いました。ぼくらが学生時代出席を取る先生は講義の退屈な教授だけで、ほとんどの先生方は(語学の先生も含めて)出席を取りませんでしたから、先達に倣って取らなかったわけですが、あとですでに別の大学を卒業した人にこの話をしたところ、「それは名前を呼ばれないと存在を認めてもらえないから不安なのです」と言われました。それからしばらくは多人数のクラスでは出席を取るようにしましたが、この例も名前と存在の関係を示していましょう。つまり、ムルソーは気脈の通ずる人は固有名詞で呼び、人間としての存在を認めています。しかし、職業もしくは社会的地位で呼ぶ人は、彼にとって人間として存在しないことになります。
次に、ムルソーは、裁判の進行状況をきわめて冷静に観察していますが、時に眠気を催して眠ってしまうこともあります。機械的に、形式どおりに進行する法廷のやりとりが、初めのうち目新しく興味深い事柄として詳細に彼の意識に残りますが、次第に退屈なものに思われてくるからです。それは彼自身の裁判を、自己利害の視点から見ていないためです。弁護士の弁論も初めのうちは聴いていますが、そのうちに退屈して外部から聞こえてくるアイスクリーム売りの売り声に気を奪われたりします。彼は自分の裁判の行方についてあまり深刻に考えていません。すでに起こった事態の責任を逃れようという考えは彼にはないようです。ありのままに状況を受け入れる姿勢ですが、最初からそうだったわけではありません。彼は上訴を考えたこともありますし、確信もしていました。さらに、再び社会に出た自分の姿を想像したこともあります。「いまぼくに興味のあるのは、ただ機械の運行(機械仕掛けmechanique)から逃れることと、避けられない事柄に逃れる手段があるかどうかを知ること」だと言って、独房と言う閉塞状況からの解放を夢想します。彼の望みは自然に帰りたいのでしょう。燦々と輝く太陽の下、海で泳ぐことこそムルソーが自分の生を実感できるからです。
しかし、結果的には、人生が生きるに値しないし、「30歳で死のうと、70歳で死のうと大して変わりはない」という結論に至ります。
次に、彼の犯した犯罪について考察してみましょう。確かに彼は殺人を犯した。しかも一発撃ったあと、間をおいて四発撃った。「あたかも不幸の扉をたたく四つの音のようであった」というのは、もちろんベートーヴェンの第5シンフォニーの冒頭を連想させているわけですが、こうした事実だけで彼は死刑を宣告されたのでしょうか。
まず彼が殺したのは、アラブ人です。植民地人と宗主国の人間との差別は、大なり小なりどこの植民地でも行われていたはずです。現在沖縄は、法的にはアメリカの植民地ではありませんが、米軍兵士が沖縄で犯した性犯罪などその兵士は罰せられることなく、本国送還となっています。ましてや、二十世紀の前半のことです、ムルソーが、有罪として懲役刑になることはあっても、死刑にはならなかったでしょう。ではなぜ死刑に到ったのでしょうか。検事の論告求刑を辿ってみると、ムルソーが当時の習慣を無視したことが重要な要件となっています。
まず、彼が母親の死顔を見ようとしなかったこと。これは、養老院についてとき彼はすぐに母親の顔を見たいと思ったのに、手続き優先の社会に慣れきった門番が先ず最初に養老院の院長に会うべきだと言い、院長のところではいろいろ質問されるうちに彼はそうした状況にうんざりして、最初の気持ちが消えてしまいます。ムルソーは手続きとか儀礼というものに全く関心がありません。しかし、形式、前例、習慣で物事を判断する一般社会は、そうした行為を許容しません。
ここで私は、マルコ福音書2章23節以下(マタイ福音書12章1せつ以下)のエピソードを思い出します。ご存知のようにユダヤでは安息日に働くことを禁じられていましたが、その安息日に空腹を抱えた弟子たちが麥の穂を取って食べたところ、ファリサイ派の人々からその行為が咎められました。イエスは、D「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」 と反論しました。
このイエスの言葉は、私たちが習慣や規則に縛られて、物事を判断してしまうことへの警告ではないでしょうか。規則とか法則は人のためにあるのであって、人間が法則や規則を守るためにあるのではないことは自明のことですが、今日なお「君が代」斉唱に起立しない都立高校の教員たちが規則違反だとして処分されています。
話を元に戻します。ムルソーの裁判でアラブ人殺害の問題はほとんど取り上げられず、母親を養老院に入れたこと、死者の顔を見ようとしなかったこと、通夜の席で煙草を吸い、カフェ・オレを飲んだこと、次の日に好意を寄せる女性と水泳をし、一緒に寝たことなどが取り上げられます。こうしたことが主な理由となって母親殺しの罪として死刑を宣告されます。喫煙とカフェ・オレが問題とされるところなど、まさに先に挙げたパスカルの言葉や山梨県の一寒村の昔の風習と対比してみれば、それが如何に滑稽なことであるかがご了解いただけるかと思います。
彼が自分だけでなく他者に対しても誠実な人間であることは、Massonから娼婦を買いに行くのを誘われたときこれをきっぱり断るところに表れています。好意を寄せる女性とは関係を持ちますが、金銭による異性との交渉は拒否するからです。つまり、人間として対等に交渉できる相手であるかそうでないかが、彼にとって重要なことであるわけです。誠実に相手と付き合えるなら、手続きなどどうでもいいことだというわけです。だから、Marieから結婚しようと言われたとき「どちらでもいいcela m’est egal」と言い、望むならそうしよう、と応じます。それは従来の社会習慣から見れば冷ややかな応対ということになりますが、正式な結婚をしながら、それ以前からの相手とも関係を続けるといったどこかの皇太子などから比べれば、はるかに誠実であるとは言えないでしょうか。
会社での勤務振りも、決して無気力ではなく、いわば優秀な社員であったと言えましょう。優秀だからこそパリへの栄転の話が社長から提起されたわけです。優秀ではあるが、いわゆる出世主義者ではないから、栄転の話を断るわけです。「人生到る所に青山あり」を地で行く彼にとって、冬には陽光の乏しい喧騒の街パリよりも太陽の光と美しい海に恵まれたアルジェのほうが魅力に満ちているわけです。
彼の日常生活は、仕事の能率は上々だし、周囲の知人友人たちとも良好な関係を維持しています。しかし、彼の親密な友人たちは、法廷に出てその場に適した特定の表現でムルソーを弁護することができない。一例を挙げると、Celesteの場合です。彼は法廷で発言するべく用意してきたようであったが「ぼくに言わせれば、あれは不運です。不運がどうゆうものであるか誰でも知っています。われわれには防ぎようがありません。そう、ぼくに言わせれば、あれは不運です」と言ったあと、言葉を続けられません。裁判長にもう結構です、と言われるとさらに発言したいと言い張ったものの、同じ言葉を繰り返すだけでした。彼の友人としての心情がこれらの言葉ににじみ出ているが、法廷のある種措定された表現からは程遠いゆえに効力を生じません。他の人々についても似たり寄ったりです。ムルソーは社会的地位や外見で人を選ぶのではなく、動物的直観とでも言うべき感覚で共感を覚える相手と交わるか、関心を抱くようです。Perez老人に対する彼の観察は後者の場合と言えましょう。なお、Perez老人については、Pereの比喩だという説もあります。彼の母親のfianceだったわけですから、当然考えられることです。
さて、イエスの場合を考えて見ましょう。彼が呼びかけた弟子たちの生業はどうだったでしょうか。ペテロとその兄弟アンデレも、ヤコブとヨハネも漁師であったし、マタイは徴税人だったそうです。徴税人は当時さげすまれていた人たちです。つまり社会的には支配階級の人々ではなく、疎外された底辺の人たちでした。だから彼が捕らえられたとき、彼を擁護する有力者が現れなかったわけです。安息日にシナゴーグ(ユダヤ教会堂)に行くだけの衣装を持たないし、献金する余裕のない下層の人々を救済しようとしたのがイエスの運動であったことには異論はないと思います。イエスの人間に接する態度とムルソーのそれにある種共通するものが感じ取れないでしょうか。
Eマタイ福音書6章26節以下の有名な空の鳥と野の白百合のたとえにあるように、イエスは自然の恵みに感謝する感受性を示していますが、ムルソーも地中海の燦々たる太陽の光を浴びて海で泳ぐことが大好きです。先に述べましたように、パリという人工的で光の少ない陰鬱な大都会に栄転するよりも、明るいアルジェの光り輝く太陽の下に暮らすことを選んだのもそのためでした。
こうして彼ムルソーは与えられた時間、与えられた仕事を立派に果たし、自分の感性に忠実に生きていました。少なくとも彼は既成の規則や習慣に縛られずに生活していたわけです。それを法廷で隠そうともせずに表白しています。つまり、偽りを嫌い、真実を語ろうとするがゆえに、自己弁解することを避けます。そのように生きることが、世の中の矛盾を浮き立たせることになります。世の中の矛盾とは、Camusの表現によればabsurdite(不条理)です。ご存知のように、この不条理をめぐってCamusはLe mythe de Sisypheの中で詳述していますが、ここではその一部を紹介しておきます。
F「絶えず意識に目覚めている魂の前には、現在と現在の継起が、不条理な人間の理想である。(…)不条理に関する瞑想は、非人間的なものに苦しむ意識から出発して、その行程の果てに、人間的反抗の熱情的な炎そのものへと立ち帰るのである。」
「現在と現在の継起が不条理な人間の理想である」ということは、別の表現をとれば、絶えず現在を意識し続け、過去とか未来に囚われない生き方を意味しています。先ほどのイエスの空の鳥と野の白百合の比喩と一脈通ずるものがありましょう。明日を思い煩うことなく今日という日を悔いなく十全に生きること、実はそれが世の矛盾を浮き彫りにするゆえに、支配者層はそれを赦せないわけです。
ムルソーも刑務所付司祭に向かって爆発したときの言葉「ぼくは空手でいるかのように見えるかもしれない。しかし、ぼくは自分に確信を持っている。すべてについて彼(あなた)以上に確信を持っている。自分の生と来るべき死とに確信を持っている。(…)少なくともぼくはその真理に捉えられていると同時にそれを捉えている。(…)」が、『シーシュポスの神話』が言う「不条理な人間」の実践ではないでしょうか? 彼が自分に確信を持っていると、言い切れるのは、社会の習慣とか形式に囚われずに、一日一日を、一瞬一瞬を意識的に生きてきたからではないでしょうか。また『神話』では「このような世界における生とは何を意味するだろうか。とりあえず、未来に対する無関心と、与えられた一切を汲み尽くそうとする情念にほかならない。生の意義の確信は、常に価値のシステム、ある選択、われわれの好みを前提としている。」とも述べています。「与えられた一切を組みつくす情念」とは、まさに日々一刻一刻を誠実に意識的に生きるということになるでしょう。
通常、われわれはこのような生き方をする人はまれです。いわば不条理を意識せずに未来と過去にのみ囚われて時を過ごしているだけしょう。Pascalは『パンセ』の中で次のように喝破しています。
G「われわれは決して、現在の時に安住していない。われわれは未来を、それがくるのが遅すぎるかのように、その流れを早めるかのように、前から待ちわびている。あるいはまた、過去を、それが早く行きすぎるので、とどめようとして、呼び返している。これは実に無分別なことであって、われわれは、自分のものでない前後の時の中をさまよい、われわれのものであるただ一つの時について少しも考えないのである。これはまた実にむなしいことであって、われわれは何ものでもない前後の時のことを考え、存在するただ一つの時を逃がしているのである。というわけは、現在というものは、普通、われわれを傷つけるからである。それがわれわれを悲しませるので、われわれは、それをわれわれの目から隠すのである。そして、もしそれが楽しいものなら、われわれはそれが逃げるのを見て残念がる。われわれは、現在を未来によって支えようと努め、われわれが到達するかどうかについては何の保証もない時のために、われわれの力の及ばない物事を按配しようと思っている。」(『パンセ』B・172−L・47)
キルケゴールの「不条理,それは神のない罪だ」という文言によれば、不条理を意識するということは「原罪」を意識することでもあるわけです。カミュの時代には、アクション・フランセーズというカトリック極右運動のさ中であって、人間存在の本質を究めるというよりも極度に政治運動化した宗教活動に、イエスの提起した運動の本質が失われていたことがカミュの問題提起ではなかったかとも考えられます。
つまり、イエスも、そしてムルソーも立ち向かう対象は違っても、既成観念や習慣に囚われずに日々誠実に生きたわけです。もちろんここでムルソーの犯した殺人を正当化するつもりは毛頭ありません。彼が死刑になるのが、アラブ人殺害ゆえではなく、母親を養老院に入れ、通夜の晩cafe au laiを飲み、タバコを吸ったことが、母親殺しに相当するというのが死刑求刑の理由であったことに着目していただきたいのです。つまり、母親と同居するという習慣に反し、通夜の席でのしきたりを無視したことが重要な理由になっていて、陪審員もそれを容認したわけです。
さて、イエスは何ゆえ十字架にかけられたのでしょうか。一般に「ユダヤ人の王イエス」と十字架の上に書かれたとされているように、ヘロデ王に代わって王位に着こうとした見做されたからであるとか、十字架はローマの政治犯がつけられるものであったから、彼が反ローマ運動という政治活動をしたためであるとか、さまざまの推定がなされています。それぞれ筋が通っているように見受けられます。しかし、福音書の記述を素直に読んで見ますと、彼は罪人つまり一般社会からはじき出された人々、貧困・病気に苦しむ人、異邦人といった人々に、「愛することによって赦される」というメッセージを与えたことが、既成社会の支配層、特に聖職者層の怒りを買ったことになるようです。いわばどんなに身分が低くとも、貧しくて教会堂に入れなくとも、また卑しい職業についていても、愛すれば救われるというならば、伝統的な教会の指導が維持されないことになりかねません。それゆえファリサイ派、サドカイ派など聖職者層が、何とかしてイエスの落ち度を捉えようとしたことなどの理由が明らかになりましょう。
以上のことは、イエスがファリサイ派や律法学者に向けて放った言葉がよく表しています。
H「律法学者やファリサイ派の者たち、あなたがたは偽善者は不幸だ。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えても、内側は死人の骨や、あらゆる汚れでいっぱいである。このように、あなたがたも外側は、人の目には正しい人のように見えても、内側は偽善と不法でいっぱいである。
律法学者やファリサイ派の者たち、あなたがた偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりして、こう言う。『もしわれわれが先祖の時代に生きていたならば、預言者の血を流した彼らに組するようなことはなかったであろう』と。こうして、あなたがたは預言者殺しの子孫であることを、自分で証明している。さあ、あなたがたは先祖の悪業を完成しなさい。へびよ、まむしの子孫よ。どうしてあなたがたは地獄の刑罰を逃れることができようか。」(マタイ:23章27―34節)
言うまでもなくこのイエスの言葉は、既成観念や慣習によって他者を判断し批判する私たちに向けられてもいるわけです。ご存知のように、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中で、懐疑論者のイワンが信仰深い弟のアリョーシャに向かって譬え話をします。教会で最高権威者である大審問官が再臨のイエスに向かって言うセリフの一部です。
I「お前はキリストなのか? (…)答えなくともよい。(…)お前の言うことくらい分りすぎるほど分っておるわ。(…)なぜわれわれの邪魔をしにきた? (…)しかし、明日どうなるか分っているのか? (…)お前がキリストなのか、それとも同類に過ぎないのかわしは知らないが、とにかく明日になったらお前を裁きにかけて異端のもっとも悪質なものとして火あぶりにしてやる。そうなれば今日お前の足に接吻した同じあの民衆が、明日はわしの合図一つでお前を焼く焚き火に炭を放り込みに走るのだ。」(原卓也訳)
私たちは、しばしば為政者やメディアの扇動に乗ってしまいがちです。歴史上、ローマ教皇庁にとって都合の悪い聖職者が焚刑にあった例は、有名なものでは15世紀のサヴォナローラが挙げられます。清廉潔白で民衆の支持を得ていた彼は、腐敗しきった教皇庁を批判して、教皇に退位を迫ったけれど、逆に追い詰められて焚刑に処せられます。それまで支持していたフィレンツェの民衆が彼の処刑に加担することになりました。イワンのたとえ話の再臨のイエスはこのサヴォナローラの例を彷彿とさせます。ところで、ドストエフスキーを愛読していたCamusは、この作品を執筆するに際して、この大審問官の挿話が念頭になかったはずはないと思います。つまり、われわれ民衆は、ある種権威ありそうな者の主張、判断に扇動されるか、すくなくとも感化されてしまいがちです。最近では、オウムの信者たちの例がそれをよく表現しています。ぼくの少年時代がそうでした。「天皇は現人神であり、鬼畜米英に必ず勝つ。それは聖戦、つまり米英蘭からアジアを解放するための戦争だから。等々・・・」こうした宣伝に一部の人々を除いて、大人も子供も正義の戦いの勝利を信じていました。それに疑問を投げかけるとか、服従しないなら、疎外されるか、差別されるか、あるいは異端視されてしまうからです。当時なら、憲兵という恐ろしい兵隊に逮捕され生きては帰れなかったと言われています。そうしてみるとムルソーは、異邦人というより異端者として死刑宣告を受けたと見ることもできるわけです。
ここまでくれば、ラストシーンにおけるムルソーのつぶやきの意味が明らかになるでしょう。
J≪ Pour que tout soit consomme, pour que je me sente moins seul, il me restait a souhaiter qu’il y ait beaucoup de spectateurs le jour de mon execution et qu’ils m’accueillent avec des cris de haine. ≫「すべてが成就し、ぼくがあまり孤独だと感じないために、ぼくの処刑の日に大勢の見物人が来て、憎悪の叫び声で迎えてくれればいい。」と。
この「すべてが成就し」の箇所はtout soit consommeとあります。この表現は、福音書のイエスが最後の場面で言った言葉でもあります。ラテン語でomnia consummata suntです。現代語訳(JerusalemもTOBも)ではtout est acheveですが、Geneve訳ではtout est consommeとなっています。Camusがこのイエスの断末魔の言葉を最後に用いた意味は、ムルソーの死刑が、アラブ人殺害ゆえではなく、支配者層の安定した秩序を乱す異端者に対するものであることを示そうとしたのではないでしょうか。
そのもう一つの理由は、この最後のつぶやきに先立つ次の言葉が、彼自身社会の干渉からの解放を、自然人ムルソーの自然宇宙との融合を実感していることを表しているからです。
K「死をまじかに控えたママンは、あそこで解放されるのを感じ、すべて生きなおそうという気になったに違いない。誰一人誰も彼女のために涙を流す資格などない。そしてぼくもまたすべてを生きなおす(revivre)気持ちになっているのを感じる。あたかもこの大きな怒りが、ぼくから悪を浄化し、希望を空にしてしまったように、このしるしと星に満たされた夜を前にして、ぼくは初めて宇宙の優しい無関心に心を開いた。」
「生きなおす」と訳されているフランス語revivreには<甦り>の意味もあります。また「宇宙の優しい無関心」とは、個人の内面にまで踏み込まず、既成社会のしきたりを押し付けようとしない自然宇宙の「優しさ」であって、そこに彼のすべてが解放されるがゆえに、まさに新たな世界に<甦る>ことになるわけです。だからこそ「すべてが成就した」と言える確信が持てたのだと考えられます。