洗礼式の感想

 中島祐子

 

洗礼式の写真

 

あけましておめでとうございます・・・21世紀が、本当の意味ですべての人々が、 ひとり残らず、救われ、心の中に平安が宿る新世紀となりますよう、皆で、祈り、手を取りあっていけますように・・ひとりひとりが父なる神様のはかりしれない愛と出 会う恵みを願いつつ!!

  皆さまのお祈りをたくさん頂き、昨年のクリスマスイブの夜に、パリミッションエトランジェのクリプトに於いて、7歳の長男はアシジのフランシスコ、3歳の誕生日を迎えたばかりの次男は、フランシスコザビエルという新しい名前を洗礼式にて頂くこ とができました。長男は、毎週の教会学校でのお勉強のかいあって?念願の初聖体も 頂き、"思ったよりぶあつくて、すごおくおいしかった"とにこにこでした。

その日の朝のミサの様子では、じっとしていることが一番苦手な長男、果たして、夜の9時に、たくさんの方が見守る中、厳粛な儀式に耐えられるだろうかと、一抹の不 安がよぎった母親の私です(ミサ後の聖歌の練習の時に、手を上げて、神父様にお腹がすいたのだけど・・と言った彼に、どっと大笑いという状況でしたので)。 実のお兄さんのようにかわいがって導いて下さってきた嘉松神父様より、彼はかなり詰め込み気味で緊張しているようなので、家ではあれこれ言わずに、なるべくリラッ クスさせてあげて・・・との助言を頂き、あとは、神様におまかせしようという気持ちになりました。
夕方に、自分で祈る共同祈願だけは、いっしょに考えてみようと誘ったところ、うんうんうなりながらも、日本からわざわざ洗礼式のために駆け付けてくれたじーじとばー ば、そして従兄弟たちへ、ありがとうが言いたいこと、ぼくのように世界中の人が神様を信じられますように、というふたつのお祈りを自分の口から絞り出し、子どもっ て素敵だなあと感動を覚えたのです。
そして、家を出る直前に、前日大切な信仰の友よりいただいたお祝のルルドのお水を、祈りとともに慎んで飲ませ、いざ出発!くつをはきながら、僕の白い衣わすれないでねーと、確かめるようにいうので、しっかり彼自身の手に持たせました。
普段は、地下聖堂に入ると、慣れ親しんでいるあまり、手を振りながら神父様のところに小走りにいく彼ですが、その夜はこれから、ついに自分の洗礼式に望むのだという緊張と気迫が感じられ、そばに座ってミサの始まるのを待っていると、こちらの方が緊張してきてしまうような、これまで見せたことのない真剣な横顔です。
大好きな嘉松神父様の司式のもと、代父の隣で、聖霊がしっかり働いて下さり、できるかぎりの力を発揮して臨めました。恐縮ですが、ここで、家族ぐるみで親しくさせ て頂いているファミリーの御主人でいらっしゃる代父を引き受けて下さったO様がお祈りして下さった共同祈願を紹介させて下さい。

"今日、洗礼を授けられたお二人に、神様からの豊かな恵みが与えられますように。そして、お二人を迎え入れた私達共同体がまことの愛で支え合うことができますよう に・・・"

一方、寝起きで御飯を食べさせる時間がないままにミサに預った次男坊の方は、案の定途中からお腹が減り始めたらしく、大好きなアメちゃんが食べたい、食べたいとせ がみ始め、"そういえば、この子夕飯食べてなかったんだわと"と気がついたのも、あとの始末、結局洗礼の儀式が始まるまでは、後ろの脇に退いて、騙し騙し静かにさ せ・・という具合になってしまいました。
さて、お水をかけていただくその時はいかに・・・と申しますと、思いのはか、普段と違う様子の気迫迫るお兄ちゃんの思いが伝わったのか、横からじっと兄を見つめ、 デュノワイエ神父様の、聞き親しんだ優しい"いいこね、泣かないね、ほーら、いいこだ・・"という語りかけに、神妙な様子で静かにお水をかけていただき、おばあちゃ ん手作りの白い衣ならぬ真っ白いマントを、代母のシスターに着させてもらい満足顔。親ばかの限りですが、白い衣をきて手をつないで兄弟で祭壇の前に立ち尽くす姿は、 かわいかった!!今でも、目をつむるとその姿ははっきり浮かび、感謝と喜びの思いで胸があつくなる私です。

実況中継のようになってしまいましたが、これまで二人の洗礼のために、切にお祈りしてくださってきた方々に、感謝の気持ちをこめて、報告を書き留めさせて頂きまし た。本当に、ありがとうございました。
ミサが終わったのは、多分10時を過ぎていたかと思いますが、そのあと、歩いて3分ほどの所にある、パリ日本人カトリックセンターに、場所を移し、信徒の方々のそ れはそれは、素晴らしくきれいで、美味しい手作りの御馳走やクリスマスケーキを囲みながら、シャンパンで乾杯!
緊張のきれた長男は、お祝にかけつけてくれた学校の友だちとわいわい、ぱくぱく・・・次男の方は、洗礼の記念に頂いた白と水色のチョコレートボンボンをほおばり上機嫌!帰宅したのは、なんと夜中の1時近くでしたが、長男が帰ってからの第一声に、" 洗礼ってこんなに嬉しいことだって、しらなかったよ"と独り言のようにつぶやいた 言葉が、とても嬉しく心に響きました。
次男は忘れてしまうかもしれませんが、7歳の長男の心と脳裏には、しっかりとこの日の体験が心温まる素晴らしい出来事として刻まれ、きっとこれから成長する過程で、 自分の力ではのりこえられないような大きな試練の時も、この思い出が心の糧となって、神様に心を向けて希望をもってあゆんでいってくれることを信じ、願わずにはい られません。
弟が大きくなってきたら、きっとこうだったんだよと、話してきかせてあげられるでしょう。

私自身は、生後まもなく幼児洗礼を受け(もちろん、この恵みを与えてくださった、神様と両親にはたくさんの感謝でいっぱいです、このことが原点となって、今の私の 信仰があるのですから)、当然ながら記憶に残っていなかった訳ですが、自分の子ども達の洗礼式を通して、もう一度、いっしょに体験させてもらったような、恵みもい ただき、ここ、パリに主が導いて下さり、主人が承諾してくださり、このような恵みの時を、準備してくださっていた神様にやっぱり"ありがとう!!"の思いでいっぱ いです。
神様のなさることは、やっぱり、時にかなって美しかった!!ことを実感した2000年のクリスマスイブでした。
さて、その二日後から年始にかけて訪ねたイタリアの旅での不思議な出来事を少しだけ、分かち合わせて下さい。
この旅は、日本人向けのツアーに参加したので、6泊7日の間に、ヴェネツイア・フィレンツエ・シエナ・アッシジ・ローマというとても忙しい日程でしたが、シエナから ロ−マに向かう途中に立ち寄った小さな中世の田舎町、アッシジも例外ではなく、当初、添乗員さんに30分だけの観光と聞いた所を、息子がクリスマスにフランシスコ の洗礼名を頂いたばかりなので・・・と頼み込み、やっと1時間に伸ばしてもらえたのでした。それでも、素朴な街並みまでは見るゆとりはとてもなかったのですが、激 しく降っていた雨が、この60分の間だけ晴れ上がり、バスの集合時間を気にしながら急ぎ足で降りた、フランシスコが眠る地下聖堂に足を踏み入れた丁度その時に、平和の賛歌の歌が聞こえてきたのです。
心のどこかで陽平の2回目の御聖体拝領をアッシジでできたら・・・という願いはあったものの、許されたわずかな時間にミサと遭遇できるかもわからない、とほとんど期待をもたずにいたのが実現し、心の中でばん ざーい!と歓声を上げながら、周りの人々と平和の挨拶を笑顔で握手を交わし、夢見心地で陽平と二人で命のパンを頂きました。
一番最後に観光バスに乗り込み、出発してまもなく再び雨が降り出したのを窓越しから見て、陽平が"ぼくが、フランシスコの名前をもらったばっかりだから、きっと呼 んでくれたんだね"とキラキラと瞳を輝かせて言いました。
偶然とはやはり思えぬ、宝物となったひとときでした。

最後になりましたが、洗礼式の時にお祈りした長男の共同祈願を書くことで、皆さまのお祈りとお気持ちへの御礼とさせて下さい。

"天のお父さんである神様、今日は、ぼくと弟に洗礼、ぼくには初聖体もさずけてくださり、本当にありがとうございます。今、ぼくは、初めて神様のパンを食べられるので、とてもうれしいです。また、日本からおじいちゃんとおばあちゃん、いとこたちもきて、いっしょにおいのりしてくれて本当にうれしいです。ありがとう。 どうぞ、ぼくのように世界中の人たちが、神様を信じられますように、おいのりします。"

 

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