美しいものを見つけよう

カトリック・センター活け花教室雑記

 

 

カトリック・センターの活け花教室はJMJパリ大会をきっかけに呱々の声を上げた。すでに8年の歴史を持つ。

その頃私は≪Le Mondeを読む会≫に参加させていただいていて、当時にしてもう20数年もの間この講座を続けて下さっているデュ・プレッシ−氏の奉仕の精神に深くうたれると共に、自分も恩恵を受けるばかりでなく何か微力を尽くしたいと念じていた。

JMJパリ大会に際し世界各国から集まる青年達を、関係の各国はパリ・ミッション会の庭でそれぞれのお国ぶりを披露してもてなそうと決めた。日本はポピュラーな伝統文化、茶道・華道・折り紙を選び、私は≪昔とった杵柄≫で華道を受け持つことになった。

「フランスに行こう」と決めてからは、顔はフランスに向きっぱなしで、日本での生活の雅味を振り返る余裕もなかったが、久々に心を込めて花を活けてみると、私たちは何と素晴らしいものを持っていたのか、と云う清々しい驚きと、懐かしさを込めた誇りをさえ感じたのであった。これは協力してくれたセンターの仲間も同じ思いであったし、日本暮らしの長かったデュノワイエ神父様も「いいねェ、いいねェ」を連発されていた。その後間もなくセンターでの活け花教室が開催の運びとなったのである。

花器には料理用器、鉢受皿、ブロカン市で見つけた前身不明ながら味のある器等々を用意。剣山は皆が日本へ帰る度に二つ三つと運び、ご寄付も仰いだ。今では花瓶も剣山も日本文化センターの売店で手に入れることが出来るし、フランスの商品にも花器用のものがふえて、わずかの間に隔世の感がある。花は各自持参することにしているが、パリの花屋には枝物がない。これは日本の活け花には真に具合が悪い。やむなく垣根のはみ出し枝を頂戴したり、近くの森の下生(したば)之(え)を採ったり≪花盗人は盗人にならぬ≫に則って、密やかに、ささやかに調達に努めている。こうして自然の中で摘んだ草木は栽培種にはない得がたい趣きがある。≪野の花を活ける≫こんな贅沢は今の日本(特に東京)では望むべくもないだろう。発足二、三年の頃だったかFête de Jardinの際ミッション会で活け花の展示・実演を依頼された。この時も森の恵み、いがつきの栗の枝や木の実、苔寺を流木にあしらって、すだれ、掃木(ほうき)まで動員し表現した秋の野の一郭、真紅に色づいた一筋の蔦で一瞬に現れた源氏物語の世界等などを、緑の芝生の上に繰り拡げた。この日は2600人の入場者があって好評を博した。 申し遅れたが私の流派は池の坊である。立華(りっか)・生華(せいか)・自由花(じゆうか)とあるが、現代の生活に一番合っている自由花を主に採用している。私は絵描きなので色・型のコンポジションを、花の助けを借りて表現していく自由花の可能性に魅せられている。この面白みは参加者の皆さんも感じとって下さっていると思う。しかし生華にふさわしい枝ぶりが手に入った時は生華を手がけるように努めている。真(しん)・副(そえ)・体(たい)の役枝をきっちりと据えた先人が生み出した日本美の真髄に触れて欲しいと思うからである。生華の楚々とした姿に「まあ素敵!」と云いながら、いつの間にか一本、又一本と加えてしまうフランス人。感覚の違いが感じられて面白い。私が皆さんの作品を手直し(枝ばらい)する時、全員で意見を云う。こんな教室は型破りだろうが、目を養うのに役立つし、これが醍醐味だとも思う。「切る。切らない。」とひとしきり。しかし私は指導者であるから多数決と云う訳には行かない。しっかり見きわめて「でもね」チョンと切る。「アッー!!」賛否両論の溜息。ややあって「でもすっきりしたわね。思いがけない姿になったワ」等々。「それが年輪というものです」私は心の中でつぶやきながらも決断成功にほっとする。こんな時いつも思うのは昔金澤でお習いした年若い先生の言葉である。「一番美しい姿をみつけてあげましょうね」。 そして読みさしの本にふと見つけたミケランジェロの独白「私はミューズに導かれて石の中に潜む美をとり出しているに過ぎない」。

≪美をみつけ、とり出すこと≫ 何度も繰り返していたら思考の先にぽっと光が浮かんだ。これは生き方にも通じる、と示唆する光が。欠点には目をつぶり(=心の中で枝払いして)つとめて優れた所に眼を向けよう。そうしたら身のまわりすべてに今まで気がつかなかった素敵なものが見えて来るに違いない。

   毎月第2木曜、18時30分からです。楽しくお花を活けましょう。

画家・池の坊正教授    田中 万里子

 

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