ある日本の歴史教科書における南京虐殺の記述について

− 歴史における真実 ー

 

 最近、日本の歴史観に憂慮すべき変化が起こっていることを示す出来事がありましたので、書いてみたいと思います。

 200143日、日本の文部科学省は「新しい歴史教科書をつくる会」によって作られ、扶桑社から刊行された中学の歴史教科書が検定に合格したことを発表しました[1]。この会は歴史修正主義的な主張をもっています。

 この教科書の国粋主義的内容は、多くの市民集会、教職員組合の抗議を引き起こし、また戦争で日本軍の侵略を受けた近隣の国々、特に韓国、中国の反発を強く受けています。

 また日本カトリック・正義と平和協議会はこの教科書を採用しないように呼びかけています。

 

ここでは一つの例を取り上げたいと思います。この教科書での南京虐殺の記述です。

 この歴史教科書では、東京裁判での南京虐殺について、こう書いています。

 この東京裁判では、日本軍が1937(昭和12年)年、日中戦争で南京を占領したとき、多数の中国人民衆を殺害したと認定した(南京事件)。なお、この事件の実態については資料の上でも疑問点も出され、さまざまな見解があり、今日でも論争が続いている。

 (扶桑社中学歴史教科書より抜粋)

この記述は中立的で客観的に見えますが、南京で実際に虐殺があったのか疑いがあるように思わせます。

 しかし、犠牲者の数に関しては論議の余地のあるものの、虐殺の事実に関しては疑うことは出来ません。

 

 歴史的事実は次のとおりです。

 19371213日、日本軍は南京を占領しました。残っていた人々は難民、その多くは老人、女性、子供でした。22人の西洋人:デンマーク人、アメリカ人、ドイツ人たちは国際安全地区委員会を結成し、カトリックの大学であった金陵大学内に難民たちを収容しました。

 証言によれば、日本兵による虐殺と強姦は1213日の夜から始まりました。安全地区内の難民たちもその被害から逃れることは出来なかったとの証言があります。ジョン・ラーベの日記(ナチ党員、安全地区委員会の委員長)、ミニー・ボートリンの日記(宣教師、金陵女子文理学院総長、難民区長)などがそれを証言しています[2]。ジョン・マギー牧師(聖公会)はそのいくつかの場面をひそかに、命がけで16ミリのフィルムに記録しました。[3] また被害者、加害者の多くの証言があります[4]

 ところが「つくる会」の歴史学者たちはこの虐殺の現実性を疑わしいとしています。当時の南京の人口統計はこのような大量殺人の可能性を否定しますし,当時の公式資料にもこの事件の記載がありません。

 証言に関しては、つじつまの合わない点も多く、また作為を含んでおり、信憑性の薄いものと彼らは考えます。マギー牧師のフィルムにしても、演出されたもので、その客観性を疑うのは正当性があると、彼らは主張します。

この考え方は誤りであり、危険です。

 歴史は公式資料や統計だけで出来ているものではありません。また歴史は物語でもありません。

 歴史と物語の違いは、「真実の自らの要求」[5]です。それは証言の重み、「私はそこにいた」と叫ぶ、顔と名前を持った証人たちです(匿名の証人というものは成立しません)。

 歴史学者たちは証言を検証し、比較する義務があります。しかし被害者と加害者は同じ記憶を共有してはいません[6]。信じられないような虐殺の証言を作為があるという理由で反駁するのは、虐殺を二重に犯すことです。

 私たちの時代には信じられないような出来事がありました。アウシュビッツ、広島、長崎、ラーゲル(ソ連の強制収容所)など。歴史的証言者たちの経験したことはあまりにも常識を超えているので、彼らの言葉に耳を傾ける者は少ないのです。ですから私たちの最大の義務は、これらの証言を保護し[7]、次世代に伝えてゆくことです。

 そして赦しを求めずに、過去の抹消を図る人たちに対し、私たちは「人は人を赦すことが出来る」と、はっきりと言わなければなりません。「赦しは取り返しのつかない状況における唯一の救い」[8]だからです。

200163 聖霊降臨の祝日

湯沢慎太郎

Version francaise de cet article


[1]朝日新聞04/04/2001Le Monde daté du 17 avril 2001

[3]このフィルムの一部はクリスチン・チョイのドキュメンタリー、「天皇の名のもとに」(1995)で見ることが出来ます。このビデオはフランスのテレビで何度か放映されましたが、日本では一度も放映されていません。

[5] Paul Ricœur,  La mémoire, l’histoire et l’oubli , éd.Seuil, 2000,p 337

[6] 同上

[7] フランスはナチの人道に対する犯罪を公共の場で否定することを法律によって禁じています(研究を禁じてはいない)

[8] Hannah Arendt, Condition de l’homme moderne, 1958, trad.fr. 1961, éd.Calmann-Lévy, chez Pocket, p 302