日本2001年の夏 − 政治における想像力について
前の記事で「つくる会」の歴史教科書が政府の検定に合格したこと、その歴史修正主義的な内容について書きました。 結局、いくつかの例外、特に東京都と愛媛県の養護学校をのぞいては、この教科書を採択した自治体の教育委員会はありませんでした。しかしこの結果は保守的な政治家たちの圧力に反対した多くの父母会、市民団体の運動によるものです。 私自身、八王子市教育委員会の教科書採択の会議を傍聴しました。 会議は7月27日午前9時からでした。私は7時半に着いたのですが、傍聴定員の40人に加わるには既に遅かったのです。けれども会議の部屋の扉は開かれていましたので、その扉の前で100人ほどの人たちと一緒に傍聴しました。その人たちは非常に集中して静かでしたので、会議室の中で言っていることは良く分かったのです。 問題の教科書は採択されなかったのですが、一人の委員がその理由を次のように述べました。 「扶桑社の教科書は物語としては面白い。しかし内容は難解であり、また『教えられる教科書から学ぶ教科書へ』という文部省の方針に配慮していない」 この公開会議を傍聴した後、反対派の人たちは入り口のホールで報告の集会を開きました。教職組合の代表、学生、在日韓国人団体の代表の報告と挨拶がありました。私もカトリック信者として次のような感想を述べました。 「教育委員は「つくる会」の教科書の形式に関する批判のみで、その内容に関しては無批判でした。ですから私たちは今後も反対の運動を続けなければならない」このように感想を述べると、皆は拍手をしてくれました。 このように私は八王子市教育委員会の会議を傍聴しました。 ところが、8月1日、東京都教育委員会が都立養護学校で「つくる会」の教科書を採択しようとしているとのニュースを聞きました。石原慎太郎知事の強い望みなのだそうです。 私は抗議するために教育委員長に葉書をだしました。大体、次のような内容です。 「証言によると、軍は本土決戦の場合には、障害児を毒薬で処分することを計画していました。[1]ところが「つくる会」の教科書は日本軍国主義を美化しようとしています。 「また、「つくる会」の公民教科書は日本憲法に謳われている「すべての国民の平等」は実現することは難しく、また社会の秩序のために個人の権利は制限されるものであるとのべています。 「しかしこの「権利の平等はおかすことができない」という考えが、障害者たちにどれだけ希望を与えたかを考えて下さい。このような教科書を障害児に使用させることは人間の尊厳を毀損し、日本の歴史に汚点を残すことです。」 東京都教育委員会は四千通以上の反対の要請書を受け取ったと報道されました。 しかし、8月7日、傍聴禁止で行われた都の教育委員会会議は、「つくる会」の教科書を二校の養護学校で使用することを決定しました。石原知事はコメントの中で「民主主義に対する圧力」を告発しています。しかし私自身、反対派の人々は静かで威厳のある人々であったことを証言できます。傍聴禁止する理由はなかったのです。
それから8月13日、小泉首相が靖国神社に参拝しました。靖国神社とは戦没者の霊を祀るところとされていますが、実際には天皇の名のもとに行われた侵略戦争の精神的支柱として、国家によって設立されたものです。 私が思ったのは、日本の指導者たちはまったく想像力に欠けている、ということでした。日本帝国主義に苦しんだ人々がこういった過去の否認を見て、どのような遺恨を抱くかを分からないのだろうかと思ったのです。私はフィリピンにおいて敗走する日本軍の行った女子供の虐殺ついての証言集を読みました。一人のフィリピン女性は家族をすべて殺され、なぜ私だけが生き残ったのか、と自らに問いつづけています。誰も彼女に答えることは出来ません。しかし私たちは歴史的真実を知ろうとしなければならない。良識だけでは「想像を絶すること」に想像力を持てないのです。私たちには遺恨を乗り越え、この過去の喪を済ます義務があります。今、緊急なのは記憶なのです。 そして日本国家は戦争責任を認め、近隣諸国に公式謝罪し、また昭和天皇の戦争責任も明確にする必要があります。これは多くの日本人市民の望んでいることです。 しかし日本の指導者たちは政治家的な打算、時代遅れのイデオロギーのために、こういった市民の声に耳を傾けようとしません。私たちは指導者たちが庶民の痛みを理解するだけの想像力を持つことを祈らなければなりません。歴史は政治における想像力の欠如がどんな悲劇に導くかを教えているからです。 2001年10月1日 湯沢慎太郎
Version francaise de cet article [1] 「もうひとつの太平洋戦争」 障害者の太平洋戦争を記録する会編 立風書房 1981
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