宗教と全体主義
− 〈顔〉について
今から約一年前、9.11のテロがありました。 この無意味なテロのおぞましさは躊躇なく非難しなくてはなりません。このテロは約三千人の一般市民の犠牲者を出し、その直後のワールド・トレードセンターの周囲には一面に人間の肉の破片が散らばっていたそうです。しかし犯人たちがイスラム過激派であったことは、これが宗教上の紛争であることを意味するのでしょうか。イスラム教の教えに「他の魂を殺してもおらず、地上で悪を行ってもいない魂を殺すのは、全人類を殺すのに等しい」[1]とあります。テロリストたちが他者の死に対して示した無関心は、宗教からかけ離れたものです。
アメリカの大統領、ジョージ・W・ブッシュは彼らを「野蛮人」と形容しました。ところで「文明」の側は、どうなのでしょうか。
ロシアは1994年以来チェチェンを「平定」[2]しています。数万人のチェチェン人(その90%は一般市民です)がロシア軍により虐殺され、拷問され、強姦されました[3]。しかし西洋諸国はこれを黙認しています。イスラム主義者による独立運動の拡大を恐れているからです。
そしてロシアは9.11の後、アメリカのアフガニスタン空爆を支持しました[4]。「文明」を−それは西洋文明・「キリスト教」文明を意味するのでしょう−守るための連帯なのです。
この現代の世界においてもっとも憂慮すべきことは、他者の死、他者の苦しみに対する無関心が世界全体、人類全体に蔓延している事だと思います。
私たち日本人には忘れてはならない記憶があります。このような無関心が日本を滅亡寸前まで導いたのです。
作家の野坂昭如(『火垂るの墓』の作者)は最近あるテレビ番組で終戦当時の経験を語っています[5]。彼は当時十四才で神戸空襲で焼け出されました。彼の家は直撃され、養父は死亡し、養母は大火傷を負って入院していました。彼と1才4ヶ月の妹は福井県春江町に親の知人を頼って疎開し、「無住破れ寺」に妹と二人きりで住まわせられます。戦争による食糧不足で人々は餓えていました。彼は一人で妹の面倒を見なくてはなりませんでしたが、彼自身が餓えた少年に過ぎませんでした。そして妹は8月21日に栄養失調で亡くなります。
作家が今、終戦当時の日本人の日記を読んで理解したことは、殆どの日本人が切迫した状況において「思考停止」していた、ということでした。軍部は本土決戦をする気でした。しかし沖縄戦だけで二十万以上の戦没者(その大多数が一般市民でした)があったのです。日本人の多くは諦め、「国体」等の殆ど宗教的な言葉を心の支えとしていました。国体とは「神である天皇を中心とした国家体制」のことですが、当時は殆ど宗教的な意味合いを持っていました。
この「国体」のために日本の降伏は無意味に遅れたのです。二発の原爆とソ連の参戦により、大本営は8月10日にポツダム宣言受諾を決定します[6]。しかし一部の軍人は連合軍が「国体護持」を認めない恐れがあると考え、この決定に激しく反対しました。このために空襲は続き、8月10日以後も千数百人の日本人が殺されました−この「殆ど宗教的な意味合い」のためにです。8月15日に戦争を−天皇の名のもとに始められた戦争を−終結させるためには、天皇自らの介入が必要でした。
私たちが「人間」で在りつづけることを望むなら、「人間」として「考え」なければならないのです。そのためには「他人(ひと)を拒んでしまう、話し相手のいない言葉」[7]を捨て去り、〈無傷であること〉をやめることです。それは人の〈顔〉の示す限り無い〈傷つきやすさ〉、「他人(ひと)の顔の中に光る限り無いもの」[8]を受けとめ、他人(ひと)の悲惨をともにすることでしょう。善きサマリア人が傷ついた旅人を見て「憐れんで」[9]、「汚れる」ことを恐れずに抱きあげたように(ルカ10, 29-37)。
2002年11月15日 湯沢慎太郎