受洗へのきっかけ−アウシュビッツを訪れて

堀井 フーバー 博美

  私が洗礼を授かったのは昨年6月デュッセルドルフのカソリック日本人教会です。
  私とカトリックとの出逢いは、まず犬養道子さんに始まります。続いて遠藤周作さんそして第三人目のカソリック作家曽野綾子さんの本を読み始めた数日目に、不思議なことがおこりました。
私が初めて手にした曽野綾子さんの著書は、"神の汚れた手"で、それは、二年前の復活祭のお休みに、ポーランドのクラコフに当時、娘が通っていた学校のクラスメートのアグネシカを訪れた時でした。クラコフ10日間滞在中のある1日、アグネシカの御両親(アーニャとアンジェ)に子供達二人を預かってもらい、アウシュビッツに行きました。そこは、本当に存在したというだけで驚愕の世界であるにも拘らず、私はそこで、遠藤周作さんの著者で読み知っていて、なぜか心にひっかかっていたマキシミリアン・マリア・コルベ神父様が殉教された飢餓室を、本当に見てしまうのです。私の様な臆病者にはずっと目をそむけていたい存在のコルベ神父様が、もう目をそむけてはいられない方として、私の前に立ちはだかったのです。
  翌日、私は熱を出し、一人ホテルに残り"神の汚れた手"を読み終えます。次の日、子供達はポーランドの小学校にアグネシカと一緒に体験入学し、夫と私は身軽に二人でクラコフ観光を続けます。ヴァヴェル城のカテドラルを訪れた時、車椅子の人が数人いる日本人の観光グループに出遭ったのです。私は直感で"カソリック信者の人達だな"と思っていると、"三浦朱門先生"やら"曽野綾子先生"と呼ぶ声が耳に入ってきたのです。まさか…と思っていると、素敵な紳士と美しい女性が現れ、胸につけてらした名前のバッヂで、三浦朱門さんと、その前日読み終えた本の著者の曽野綾子さんであることを確認。しばらくすると、このグループの方達全員ですみの小さな部屋に集まり、御ミサが始まりました。私は信じ難い今、自分の目の前で起っている出来事に呆然として、つっ立って居ました。すると、その小さな部屋のほぼ中央部に腰かけ祭壇の方を向いてすわっていらした曽野さんがクルッと後ろにいる私の方を振り向き立ちよって、ツカツカと私の前にいらっしゃり、ムンズと私の腕をつかまれて、"ここに立っていなくてはいけない理由があるんですか。さあ、中の方に腰かけなさい。"と、無理矢理(!?)御ミサに一緒にあずかることになりました。ミサの後、曽野綾子さんが皆の前に立たれ、その翌日のグループの旅程のアウシュビッツの話しをされ、そしてコルベ神父様のことに触れられました。またその方の殉教のことにも。
  その一年後、私は洗礼を授かり、洗礼名は畏れ多いその方の御名前、マキシミリアン・マリア・コルベ。代父、代母は、そのヴァヴェル城での不思議な出遭いを話したら、"それは偶然ではないね"と、さらっと言った二人、アーニャとアンジェ。

2003年3月12日