放蕩親父のたとえ

マキシミリアン・川内晴夫

私が初めて聖書を読み、キリストに接したのは25年ほど前のことです。西洋の文化を勉強するにはキリスト教を知らなければならないと、カトリックセンターの勉強会に参加したのがきっかけです。
当時私は貧乏学生で(貧乏だけは慢性のようで、今でもそうです)、悶々とした日々を送っておりました。気負いやフランス語が日本で思っていた様には上達しない焦り、またその為に傷ついた自尊心、孤独、そして食うや食わずの生活に参っておりました。そんな私に聖書の言葉は大きな心の支えとなりました。殺風景な屋根裏部屋で一人聖書を読みながら幾度も涙したことを憶えています。「救われた」と思い、洗礼を受ける事も考えるようようになりました。
そんな折、八月でしたでしょうか、数年ぶりに一時帰国しました。故郷には真夏の日本特有のむっとする空気と、あまりにも平和な「日常」が私を待ち受けておりました。パリでの生活とのギャップに戸惑いを覚えると同時に、うらぶれた屋根裏部屋もキャンピングガスも、孤独にのた打ち回ったことも、さらには「すくいを得た」確信も、フランスでの経験の全てが遠い過去のことと言いましょうか、別世界の出来事のように感ぜられます。信仰とは言えないまでも、あの時キリストに出会った喜びは単なる感傷に過ぎなかったのだろうか。
あれから25年。私も中年と呼ばれる年齢に達してしまいました。楽しい事もあれば苦しい事もありました。人並みに苦しい時の方が多かったようです。転職、失業、事業の失敗、とまあ、あまり自慢できるものではありません。
それが四十を幾つか超えた頃からでしょうか、現実としては相変わらずの情けない生活をしているのですが、どういう訳か感謝の念に打たれるとでも云うのでしょうか、食事をしている時とか、道を歩いている時、何の脈絡もなくジワジワと、言葉にすると気恥ずかしい気もするのですが、神の恩恵に対する感謝に満たされるようになりました。聖書の何処かに、まず神が我々を愛して下さった、と書いてあったと記憶しておりますが、ああ、そうなんですねと、頭が下がる思いです。
カトリックの信者を妻に娶り、子供は二人共幼児洗礼を受けております。二十数年来私を弟の様に励まして下さったのは私の代父になって頂きました信者の安倍兄でした。考えてみると、神との縁は25年前切れるどころか、深い所で繋がっていたのですね。大切な方を長い間待たせてしまいました。今、私は唱えたい、あなたをおいて誰の所へ参りましょう、と。

2003年4月22日