モンベトン・ロカマドゥール訪問記

 

デュノワイエ師がパリを去られてからやがて1年になる。南仏モンベトンに引退された師をお訪ねしようという声が私たちセンターの間から澎湃(ほうはい)として湧き起こった。近くには黒いマリアで知られるロカマドゥールの巡礼地がある。

この2つを兼ねた旅行プランが出来上がり、綿密な準備が進み、最終的には12人が参加することになった。いづれもつぶらな黒い瞳を一対ずつ(合計24の瞳)備えた手弱女(たおやめ)たちであるが、勇気と力では決してアマゾンに劣るものでなかった。でなければ、どうしてあのように重い食料品を敢然と運んでいかれようか。鍋釜こそもたなかったが包丁、俎板、箸まで一式揃えたのである。

それも和食が大好物のデュノワイエ師を喜ばせたい一心で。もとより巡礼旅行である以上、霊的準備も怠らなかった。ミサ用の「聖書と典礼」と歌、それに加えて柴田さんが作って下さった「ロカマドゥールの案内」も。配られた日程表は9月9日(金)モンパルナス駅からTGVで出発、その日の夜は持参の料理で和食パーティー、翌10日(土)はロカマドゥール巡礼、11日(日)のミサに全員参加して当地出発Corailでパリ帰着とあった。

出発の朝9月9日は雲が低くたちこめていた。ホームの車両は延々と続き私たちは蟻の行列のように歩いた。この時から既に巡礼の苦行が始まっていたともいえる。しかし一旦席におさまると、心も声もはずんだ。佐々木さんは窓ぎわにピッタリ陣どり、移る景色の水彩スケッチに余念がない。時に声域が1オクターブを越えるわがグループのざわめきが少し静かになったのは、ランチ・タイムの時だった。ボルドーを過ぎる頃から雲が切れてくる。広がるブドー畑の熟した実は摘み入れを待つばかり。

モントーバン!の声が響く。降り立った駅には図体の大きなバスと運転手が私たちを待っていた。下り坂を過ぎ町を通り抜けると麦畑やトーモロコシ畑が目に入る。15分も走らないのに、あそこだと運転手が指で示す。

えっ!どこ、どこ、あのしゃれた白い大きなモダンな建物?まさか!引退神父様たちがこんな所にいらっしゃる筈がない。もっと人里離れた藁ぶき屋根かなんかの・・とガヤガヤ騒ぐ中に、バスは鉄柵の門の前に停まった。あっ本当だ、こちらに向かってニコニコ顔で手を振りながら歩いてくる2人の中1人は紛れもなくデュノワイエ師だった。歓声があがる、バスからころがり降りる、走り寄る、名前を呼ぶ、叫ぶ、跳びはねる。朴訥(ぼくとつ)な運転手はこの珍しい光景に気圧(けお)された様子だった。余勢で襲われると身の危険を感じたのかもしれない。チップをもらうと門の前に私たちを残しソコソコに帰っていった。自動開閉門はじれったい程スローモーションだ。そのくせ極度に敏感で、少しでも怪しいとみれば途中で止まってしまう。げんに2回も僅かな隙間を残して動かなくなった。荷物がどこかに触れたのだ。やっとのことで中に入れてもらう。グレイのラフな日常着姿の師は以前と変わらずお元気そうだった。ニュース編集のお仕事でお忙しいという。もう1人の頑丈そうな神父は外来者係であろうか(実はここの総長だった)。歯切れの良い大きな声でテキパキと私たちを別棟に案内し、部屋の鍵を渡して下さった。リビング、キッチンと洗濯室つきのこの建物には、かつてシスターたちが住んでおられたそうだ。夕食にはまだ時間がある。告戒するもの、庭を散歩する者、スケッチをしたり写真を撮る者・・・台所を出た庭に若いリンゴの木が一本、梢まで枝もたわわに赤い実をつけている。ゆるやかなスロープになった入口に近く、フランシスコ・ザビエルの銅像がある。東洋の使徒で宣教師たちの保護聖人はここの住人たちを護っている。彼らは東洋に宣教に行き出かけてゆき、今はここに余生を送る神父たちなのだ。遠くからも一目でそれとわかるレバノン杉の巨木と「ローマの松」を思わせる笠松が聳(そび)えている。前庭にはラベンダの叢(くさむら)、乱れ咲くコスモス、青い矢車草、可憐なナデシコの花・・・どれも野の花のように清楚で小さい。裏庭は自然の林になっていて奥深い。スッキリ伸びたカラ松の間にサッと光が斜めに延びる。頭上で小鳥が囀り、どん栗が地に落ち、樫の枝には帽子をかぶった黄から赤に移った色の実がついている。その辺のどこかに7人の小人がひそんでいそうだ。果たして私たちは出会ったのである、杖を手に白いひげをたれた細い影に。散歩中の老神父だった。白い十字架の並ぶ区域があった。本館の横にまだ青い実をつけた柿の木が一本あった。ある宣教師が昔日本から持ち帰って植えた種子がこれだけに成長したのである。

食堂に戻り今夜の宴会の用意にかかる。持ち寄りのおすし、いなりずし、お握り、ツクネ、焼き鳥、卵焼き、豆腐、納豆、なすとピーマンの味噌和え、ちりめんジャコの大根おろし和え、タタミ鰯、奈良漬、ここの鍋を使って作った散らしずし、味噌汁、食後用のメロン、飲物はワイン、ウーロン茶、待ちかねて7時頃本館からやってこられた師を囲んで楽しく賑やかな会食が始まった。1年ぶりの団欒(だんらん)である。積もる話に花が咲く。

就寝前に師に導かれて本館2階にある聖堂を見に行く。日曜のミサはここで行われる。外にでて夜空を仰ぐと雨雲は去り、北斗七星がクッキリと見えた。目が闇になれてくると次第に星座が現れてくる。こんなに星が近いとは。夢中で星を数える。あたりはシンと寝静まっていた。

   明ければ9月10日(土)。夜中に滝が流れるような音を聞いたのは夢ではなかった。起き出すと庭が濡れている。食堂に降りて朝食をとり、外を眺めると雨脚は依然として弱まるどころではない。傘のしずくを払いながらデュノワイエ師が入ってこられる。「午後は晴れるそうです」。バスが来る。今日はマイクロバスだ。全員乗り込んだが運転手はまだ門の前で師を相手に油を売っている。スタート。昨日の朴訥型と違って今日は底抜け陽性型の運チャンだ。名前はクリスチャン、イタリー系。どうりで。今日パリに戻る立川さんをアングル美術館で降ろすため、旧い地区を通る。雨は次第に小降りになるようだ。ガイド席に座った小島さんは流石(さすが)馴れた態度で運チャンに話しかける。巧みに誘導されて彼はいろいろ説明してくれた。3つの橋で一番古いのは橋げたが美しく並ぶ18世紀のpont vieux、その次が眼鏡(めがね)橋、そして新しい橋。宗教戦争、鉄仮面の搭、ナポレオン。

モントーバンの語源は Mont aubin − arbre( aubin )− Saule, 柳の木が多く豊かな地で麦が育つ。

頂上の“エルサレムの十字架”の前で、先程配られた“黒いマリア”像の写真の裏に記された日本語の祈りの文を読み上げ、「マリア様のこころ」を歌った。歌い終えると背後で拍手が起こる。ふり返ると、一緒に登ってきたフランス人巡礼グループの笑顔があった。それは私たち巡礼の終わりを飾る花でもあった。

   12日(日)朝のミサは10時に始まった。この家の神父様たちは既に座についておられる。その中には車椅子の方もおられた。デュノワイエ師が司式される。福音書はマタイXVIII 21-35の赦(ゆる)しのテーマだった。合図があり、私たちは「マリア様のこころ」を歌った。ミサが終わると、1人の小柄な老神父がニコニコして近づいてきて巧みな日本語で話しかけた。東京に40年以上もおられたそうだ。ミッション会の長身のクニエ師も妹さんと御一緒だった。間もなく此処にこられるとのこと、その下見分であろうか。モンベトンの憩いの家は急に私たちに近い親しいものになった。11時にバスが迎えにくる。庭のリンゴの実をお土産にいただいて、私たちは再会を約束し、名残を惜しみつつ乗り込む。

デュノワイエ師は門の外まで見送って下さった。

短いが充実した旅は無事に完了した。中心となっていろいろお骨折り下さった柴田さんと小島さんに深く感謝します。

                                      

( ドベルグ美那子 )

[ 追記 ] 和歌十首

(モンベトンにて)

ゆるやかに 黒ぬりの柵開きゆく 向かい合う顔 喜びの声

子福者(こぶくしゃ)をはじらう如く 頬染めて リンゴの若木われら迎えり

雨雲の去りし夜空に悠久(ゆうきゅう)の星座は近く冴えわたりけり

から松の林に入(い)り日(ひ)影のびて ねぐらへ急ぐ小鳥も人も

宣教の国より はるか海越えて わたりし柿の種は育ちぬ

(ロカマドゥールにて)

群(むれ)なしてとびかい通り雨告ぐる ロカマドゥールの岩つばめかな

目を伏せて静かに笑(え)みをたたえる黒きマリアは尽きせぬ泉

鮮やかに色とどめたり岩肌に マリアの絵像 幾(いく)星霜(せいそう)も

昇る陽をまともに受けて色あせぬ 御子(みこ)を背負(せお)いしクリストフの絵

十字架の道行(ゆ)き終えて歌捧ぐ うしろに起こる笑顔の拍手

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