■聖書物語から(悪の滅び・神さまの力による人間の救い・新しい命・神の霊)
- 洪水物語(創世記6章〜9章)…地上の悪を滅ぼす水と、神さまの力によって救われる人ノア。新約聖書では「ペトロの第一の手紙」3章20節〜21節で言及されている。箱舟は後に人類を救う教会のイメージとしても用いられる。
- 海を渡るイスラエル(出エジプト記14章)…エジプト軍(悪の象徴)の手から、水を通って救われるイスラエル。新約聖書の「コリントの教会への第一の手紙」10章1節〜2節で、パウロが言及している。教会は復活徹夜祭の典礼で、洗礼を連想しながらこの出来事を朗読する。
- エゼキエル書36章25節〜29節…単なる物理的な清めではなく、精神的に変えられるという理解への発展。
- 詩編51(9節及び12節から14節)…本質は神さまの霊である聖霊が与えられるという理解。
■ユダヤ教(清め)
ユダヤ教でも水による清めは重要な宗教的行いで(マルコによる福音7章1節〜5節など参照)、遺跡の発掘などの際にも必ずミクベーといわれる沐浴漕が見られる。律法の規定に適った食事(コーシェル)のための食堂などには手を清めるための道具が置いてある。
ユダヤ教ではないが、ミサの中で司祭が手を洗うのも、物理的というよりも精神的な清めを表している。
■洗礼者ヨハネ(マタイによる福音3章6節〜8節など参照)…悔い改めと回心
洗礼を授ける者というそのものずばりの名前を持つ彼は、イエスに洗礼を授けた人物でもある。彼の行った洗礼は悔い改めと回心のしるしであって、神さまのもとに立ち帰ることを要求していた。また、伝統的にイエスがヨルダン川に入ることで水が清められたと理解されている。
■キリスト教の洗礼
今日ではキリスト教の洗礼は、一般に水を額に注いで行われる。しかし全身を水に沈める浸水式も行われてきたし、このほうがよりよく意味(水に入ることで死を、水から上がることで復活)を表している。つまり洗礼はイエスの受難と復活と関連付けられていて(ローマの教会への手紙6章3節〜5節参照)、イエス・キリストが流した水と血によって罪が赦されるという理解になる(ヨハネによる福音19章34節〜35節/ヨハネの第一の手紙5章6節〜8節など参照)。
洗礼が人間を神の子イエス・キリストと結び付ける(合体させる)ので、洗礼を受けた者は神さまの子どもとして新しく生まれるとか、イエスの霊である聖霊を受けるとか、教会(キリストの体といわれる)のメンバーになるとかいった意味にもなる。
教会に入るという意味を表すために、多くの教会の洗礼盤は聖堂の入口近くにあるし、聖堂に入るたびに洗礼の意味を思い出すために聖堂の入り口には聖水が置かれていて、信者の自覚を促している。また信者の葬儀に際しては、聖霊を受けた体に敬意を表して献香される。