第十回 ルルド
■ 教会暦
■ ベルナデッタ・スビルー・・・1844年1月7日ルルド生まれ。同月9日受洗。9人兄弟の長女で(うち5人は幼児期に死亡)、製粉業を営んでいた両親のもとで育つ。生家は「ボリーの水車小屋」と呼ばれる。1857年、13歳のとき両親の経営失敗で実家が倒産。一家は極貧の生活となり、隣町バルトレスの乳母のもとに家事や羊飼いの手伝いとして奉公に出される。幼少より胸を患っていた彼女は丈夫な体ではなかった。1858年1月ルルドに戻り、「カショ」にいた家族と共に生活する。「カショ」は、その不衛生さのゆえに牢獄としてさえも用いられなくなっていた場所であり、倒産後のスビルー一家に親族から提供された家であった。1858年2月11日、薪拾いに行ったマッサビエル洞窟で始めての聖母の御出現を受ける。以来18回の御出現により静かに暮らすことは不可能になり、1858年から1866年まで「ヌヴェール愛徳姉妹会」が経営するルルドのホスピスで過ごす。1866年同会の修道院に入会するためにヌヴェールへ向かい、同会の修道女として1879年4月16日病没している。1933年12月8日「無原罪の聖母の祝日」に教皇ピオ11世により列聖。
■ 御出現の主なメッセージ・・・「罪人の回心のために」 ■ ベルナデッタへの聖母の御出現に学ぶ3つの点
■ ルルドの精神は「回心」であり、「マリアを通してキリストへ」(per Mariam ad Christum)である。また、ルルドの泉の水は特別の癒しの恵みが伴うことも多い。ただし、ベルナデッタ自身が言うように「水」そのものに力があるのではない。恵みは神さまご自身から来ること、「水」は薬や魔法のように考えられてはならないことを忘れないようにする必要がある。したがって、ルルドでも最も大事な宗教行為は聖体祭儀(ミサ)であり回心と悔い改めの業である。このため、ルルドの聖域施設はミサ・ゆるしの秘跡・十字架の道行・聖体行列・聖母行列・聖体訪問・ロザリオができるように整備してあり、聖母の言葉にしたがって行列が行われ、また水を飲み身を洗うことができるように泉の水が引かれているのである。
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