第十六回 枝の主日(受難の主日) les Rameaux
復活祭の直前の主日(日曜日)。この日からの一週間を聖週間という。 ■ 枝の主日…新約聖書(マタイ福音書21章1〜11節および平行箇所)によれば、キリストが十字架につけられるためにエルサレムに入城する際、群集が枝を持って迎えたという。教会はこの出来事を復活へ向かうキリストの受難の始まりとして記念するため、実際に枝を用いて典礼を執り行う。このため、「受難の主日」または「枝の主日」と呼ばれる。 ■ メシアのしるし…イエスは旧約聖書のメシア(救い主)到来の預言を実現する。「シオン」とはエルサレムの町の建つ丘の名前であり、神殿またエルサレムを象徴することばとなった。その市民は「シオンの娘」と呼ばれる。 「ユダを祝福するヤコブ(イスラエル)の言葉」(創世記49章11節) また、「ホザンナ」ということばは、「どうか主よ、わたしたちに救いを!」(詩編118編25〜26節)という意味で、典礼ではミサの「感謝の讃歌」(Sanctus)に用いられている。 ■ 群集が手にした枝の意味…枝には歓びと祝いの意味がある。これはユダヤ教の「仮庵祭」と関連があると考えられる(レビ記23章39〜43節およびネヘミヤ記8章13〜18節参照)。仮庵祭は、秋の収穫祭から発展したエジプト脱出を記念する祭で、砂漠移動中は幕屋で生活したことを偲ぶもの。実際に枝を用いて仮の小屋を建て、その中で一週間を過ごし祝うこともあった。 ■ 枝が象徴するもの…「枝の主日」以外に、枝は象徴的な意味で美術に用いられている。聖書の舞台となった地方で一般的なヤシ類は、ギリシア語でフェニックスと呼ばれ、「緋色(紅)」・「不死鳥」の意味にもなるため、「血」・「永遠のいのち」との連想から、殉教者のシンボルとなった。新約聖書にも、枝を手に持った殉教者を暗示させる記事をみることができる。(ヨハネの黙示録7章9〜14節) ■ 枝の行方…枝の主日の典礼で用いられた枝(常緑樹の枝)は、翌年の四旬節前に燃やされ、「灰の水曜日」(四旬節初日)のミサの中でキリスト信者たちの頭にかけられる。
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