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第二十七回 聖心(みこころ) Sacre-Coeur 傷だらけになっても愛する
■ カトリック教会では聖霊降臨祭後第二週の金曜日を「(至聖なる)イエスの聖心」の祭日として祝う。このため、6月は聖心の月とも呼ばれる。十字架上のイエスのわき腹から血と水とが流れ出た(ヨハネ19章31−37)という証言から、神様がどれほど人間を愛し、そのために傷ついたかを想起させ、人が同じ愛を生きるように励ますのである。 ■ 聖心の出現…1673年12月27日、フランス中部パレルモニアルParay-le-Monialの訪問会修道院聖堂で、マルガリタ・マリア・アラコクMargueritte-Marie Alacoqueにキリストが出現する。傷だらけになって愛する自分の心を示しながら、キリストはその愛に応える人が少ないことを告げた。以来、フランスからはじまって全世界に「イエスの聖心」の信心が広まっていく。1856年、教皇ピオ9世は全世界をイエスの聖心に奉献した。 ■ パレルモニアル…聖心のご出現の舞台となったパレルモニアルは、聖地としてローマ教皇をはじめ多くの巡礼者を集めている。訪問会聖堂、聖マルガリタの指導者であったコロンビエール神父の記念聖堂、野外集会広場の一画に設けられたご出現のジオラマ、また、ご出現と直接の関係はないが小教区聖堂など、訪問者が絶えない。 ■ 御心の信心は、初金曜日(月の第一金曜日)などを利用して行われている。祈祷書にもイエスの聖心に対する祈りが収録され、信心を助けている。しかし、最大の信心は、ご出現のメッセージが伝えるように、自分も傷だらけになるまで愛するということである。 ■ プロシア戦争と1870年ごろから始まったパリ・コンミューンは、多くの犠牲者をだす惨事となった。1873年、パレルモニアルの大巡礼の機会に、フランスはイエスの聖心に奉献された。また同年、フランス国会は人心の平安を祈願してパリにイエスの聖心に捧げられた聖堂の建設を決定する。これが、1910年完成のモンマルトルの聖心大聖堂Basilique du Sacre-Coeur de Montmartreである。 ■ 画像…イエスの聖心は、出現の出来事にちなんで、傷だらけで愛に燃える心という表現をとる事が多い。イエスが胸に示した心臓が炎に包まれていたり、光が出ていたり、茨の冠をつけ、血が流れていたりするものは、聖心を描いたものである。 ■ マリアの聖心…生涯をイエスと共に歩んだマリアの心は、キリストの心と常に結ばれていた。そのため教会は「イエスの聖心」の祭日の翌日に「マリアの聖心」を記念する。これはキリスト信者を、模範としてのマリアの生き方に倣うよう励ますためである。
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