第二回 シナイ半島 約束の地への旅路で民を養う神
■ マラ…モーセの指導の下エジプトを脱出し、海を渡ったイスラエルの民は、マラに宿営した(出エジプト記15章22〜27節)。研究者によればこれは現在のアイン・ハワーラであるという。砂漠の旅は絶えない渇きとの戦いである。この地の水は飲めなかったため、民は不平を言い、モーセの取次ぎで水を得る。現在、他にも伝承によってモーセの泉(アイン・ムーサ)と呼ばれるオアシスが存在する。 ■ イナゴマメ…モーセがマラの苦い水に投げ入れた木は、イナゴマメの木だったといわれる。ルカ福音書15章16節で豚のえさとして描かれているこのマメは、さやが厚く甘い。塩水を甘くする力があると考えられていた。 ■ マナ(出エジプト記16章)の物語…マナとは「何だ」という意味といわれる。民数記11章4〜34節によると食べ物がなかった間、民はパンを求め、パンとしてマナが与えられると今度は飽きたと不平をいって肉を求めている。天からのパンという物語はキリスト教とにとってはキリストの聖体の前表であり、「天使のパン」(panis angelicus)という表現の背景になっている(詩編78編24)。研究によると、マナは潅木に付く「マナ虫」という虫の分泌物であるらしい。シンの荒れ野で初めて与えられたマナは、民が約束の地に入るまで続く恵みであった(ヨシュア記5章12節)。 ■ マサあるいはメリバ(出エジプト記17章1〜7節)…民は旅の苦しさから解放の喜びを忘れ、神とその僕モーセに不平を述べる。マサはシナイ山の手前に位置するレフィディム付近の地名である。平行個所である民数記20章1〜13節はモーセが水を出すときに「二度」岩を打ったという出来事に触れており、この不信によってモーセは約束の地に入ることができなかったと理解されている。また、ユダヤ教の伝承では、マサの岩は民の後をついて移動してきたと考えられ、パウロの書簡もこれに触れている(第一コリント10章4節参照)。 ■ レフィディムの戦い(出エジプト記17章8〜15節)…現在のワディ・フェランと考えられ、シンの荒れ野からシナイ山に達する手前にあたる。民はここに宿営している間に、アマレク人と戦う。アマレク人はイサクの長男でヤコブの兄にあたるエサウの子孫である(創世記36章12節)。モーセが戦いの間手を挙げつづけ、イスラエルが勝利する姿は、十字架上で両手を挙げて死に勝利したイエス・キリストの前表と理解されている。 |
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