第四回 約束の地への歩み 契約の民として
■ 金の子牛…豊穣の神としての子牛の礼拝は、解放前のイスラエルの民がエジプトで目にしていたものかもしれない。古来、礼拝の対象としての子牛の像は複数の民族に見られ、現在も博物館などでみることができる。モーセの行方不明?を理由に、出エジプトの民はシナイ山麓で金の子牛を礼拝するに及び、神の激しい怒りを招く(出エジプト記32章)。偶像礼拝はもっとも憎むべき罪とされ、神との正しい関係から反れた、すべての宗教的な偽り、欺きを象徴している。
■ モーセの顔の光…人は神の顔を見て、なお生きていることはできない(出エジプト記33章20節参照)けれども、モーセは神の言葉を受けて民に伝えるために、たびたび神の前に出ていく。神の栄光が顔に触れたのか、神と語り終えたモーセの顔は光を放っていた(出エジプト記34章29〜35節)という。聖ヒエロニムス(4〜5世紀)が、聖書をラテン語ブルガタ訳にする際、「光を放っている」というヘブライ語を「角が生えている」と誤訳したという逸話はよく知られている。ミケランジェロのモーセ像など、美術作品の中でモーセの頭に角が生えている場合があるのはこのためである。 ■ ヨシュアとカレブ…シナイ半島パランの荒れ野で、モーセは約束の地への12人の偵察を送る。偵察隊はアブラハム以来の父祖の墓があるヘブロンまで北上し、約束の地の豊かさを確認するが、先住の民族に対する恐れから悪い情報を伝える。ホシェア(ヨシュアと改名)とカレブだけは神の約束への忠実さを主張し、恐れたものは神によって疫病で死ぬ(民数記13〜14章)。後にモーセの後継者となるヨシュアの名は、新約のイエスのヘブライ名であり、「主は救い」という意味がある。カレブは偵察時40歳で、エジプトを出て約束の地に入ることのできた人物である(ヨシュア記14章7節)。「…彼らは一房のぶどうの付いた枝を切り取り、棒に下げ、二人で担いだ(民数記13章23節)。」という場面はしばしば絵画の主題にとられており、現在イスラエル国の観光局もこのシンボルを採用している。
■ ペトラ…ヨルダン国南部に位置する古代都市ぺトラ(岩)は、旧約聖書ではセラ(岩)と呼ばれ、アラビア名ではワディ・ムーサ(モーセの川)である。エドム人、ナハト人の都で、ユダ王が占領した際にはヨクテエルという名で呼ばれた(列王記下14章7節)。後にローマ帝国の支配下に入ってからはアラビア州の州都として栄えた。一説によれば、回心後のパウロがしばらく退いていたアラビアとはペトラであるという(新約・ガラテヤの信徒への手紙1章17節)。出エジプトの民との関係はよくわからない。
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