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  第八回 ガリラヤからエルサレム   さまざまな出来事

ガリラヤ湖

ガリラヤ湖…海面下約200メートル、東西12キロ南北20キロの淡水湖で、旧約聖書ではキレネト湖(ヨシュア記12章3節など)と呼ばれる。新約聖書では他にティベリアス湖(ヨハネ6章1節)、ゲネサレト湖(ルカ5章1節)とも呼ばれている。イエスが水の上を歩いたり(マタイ14章25節ほか)、嵐を静めたり(同8章23〜27節)、弟子たちが漁をしたり(マルコ1章16節ほか)したのはこの湖である。近年、渇水で水面が下がった際にイエス時代の木船が発見され、保存・展示されている。

豚の崖…ガリラヤ湖東岸クルシの地は、イエスに追い出された悪霊どもが豚に乗り移って湖になだれ込んだという福音書の出来事の舞台とされている(マタイ8章28〜34節および平行個所)。ガダラの人にとって、イエスのこのしるしは救い主のしるしと言うよりも、災難であった。救い主を救い主と認めることのできない人は、イエスに「出ていってもらいたい」と願うのである。

コラジン…カファルナウムの北にあった町。現在は廃墟である。聖書時代には栄えていた町の一つであるが、救い主のしるしを受け入れないことからイエスの非難を受けている(マタイ11章20〜24節)。

カルメル連山…カルメルとは「神のぶどう畑」の意。旧約の分裂王国時代、バアルの預言者とエリヤが戦った地はムフラカといわれ、そばにキション川が流れる(列王記上18章)。12世紀に十字軍の引退兵士を含むキリスト者がこの地で隠遁生活を始め、これが後のカルメル会に発展する。現在、初期のキリスト教会の跡に、カルメル会修道院が建てられている。

メギド…カルメル連山最南東端に位置するこの地は、古来交通の要所、交易の場として栄えた砦であった。このため歴史上数多くの戦いの舞台ともなっている。ハルマゲドンとは「メギドの丘」の意味で、ヨハネの黙示録でも戦いの舞台として登場している。

ヘロデの水道橋

カイサリア…ローマ皇帝カエサルに因んで名づけられた地中海岸の港町で、ヘロデ王によって築かれた。現在もローマ帝国時代の水道橋が残っている。使徒言行録によるとローマに護送される前のパウロはここで監禁されていた(23章33節以下)。

エルサレム…「神の平和」の意か? 紀元前1000年ごろ、旧約のダビデ王が入城し(サムエル記下5章6〜7節)、後継者のソロモンが神殿を築いて以来(列王記上6章)、この町は神の臨在する聖なる町とみなされている。ソロモンの神殿は第一神殿といわれ、紀元前8世紀のバビロン捕囚の際に破壊された。新約聖書に登場する神殿はヘロデ王によって46年もかけて(ヨハネ2章20節参照)建てられた(実際はネヘミヤ神殿を大改修した)第二神殿である。この第二神殿も紀元70年、ローマ軍の手によって破壊された。現在残された神殿域は第二神殿のものでその西側にあたるのが「西の壁」(嘆きの壁)である。かつての至聖所のあとに現在は黄金ドームといただくモスクが建てられている。イスラム教の伝承によるとそこは、マホメットが昇天した場所である。キリスト教徒にとって、この町はイエスの受難・死去・復活の舞台である。

オリーブ山から黄金ドームを望む