第七回 ガリラヤ イエス宣教の舞台
■ナザレ…「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」と、後にイエスの弟子になるナタナエルは言った。当時無名のこの町は、しかし、歴史に大きな名を残した。イエスが両親(マリアとヨセフ)とともに生きた町だからである(ルカ1章)。このためイエスは「ナザレのイエス」と呼ばれる。受難の際、イエスの十字架の上には「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」(Iesus Nazarenus Rex Iudaeorum)と書かれた罪状書きが掛けられていた(ヨハネ19章19節)。ナザレはまたマリアの町でもある。マリアが大天使ガブリエルから懐胎の知らせを受けた場所という洞窟の上に、中東最大のお告げ(受胎告知)記念聖堂が建てられている。Ecce ancilla Domini fiat mihi secundum verbum tuum.(「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」)とはマリアの答えである。 ■カナ…イエスが水をぶどう酒に変えるという最初のしるしを行った町(ヨハネ2章1〜11節)。十二使徒のひとり、ナタナエルの出身地でもある。イエスが婚宴に立ち会っていたということから、夫婦で訪れて結婚の絆を確認する巡礼者も多い。またマリアの取次ぎの力を考えさせる場所でもある。Quodcumque dixerit vobis facite. 「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください。」 ■タボル山…旧約聖書で将軍シセラと対峙したイスラエルが集結した場所。この戦いではヤエルという女性がシセラの隙を突いてこめかみに釘を打ちこみ、イスラエルに勝利をもたらす(士師記4章)。また伝承によればキリストの変容はこの山上の出来事である(マタイ17章1〜9節及び平行個所)。モーセとエリヤはそれぞれ「律法と預言者」すなわち旧約聖書を表している。現在山頂に建てられている聖堂の祭壇上には、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。」(Domine bonum est nos hic esse.)というペトロの言葉が刻まれており、巡礼者を同じ信仰告白に誘っている。 ■至福の山…カファルナウム近くのガリラヤ湖を見下ろす丘が、山上の説教(マタイ5〜7章)の場所とされている。聖歌に歌われる「ガリラヤの風薫る丘」である。山頂の記念聖堂は8つの「幸い」を記した八角形をとり、床には「信仰・希望・愛」の対神徳と「正義・節制・剛毅・賢明」の枢要徳が刻まれている(昨年度講座22「徳」の項参照)。 ■カファルナウム…「ナホムの村」の意とされる。イエスの宣教の根拠地(マタイ4章13節ほか)。ペトロの家の跡といわれる場所に、聖堂の遺構が発掘されている。当時大きな町として繁栄したと考えられるが、現在は遺跡である。ガリラヤ湖北西岸に位置する。 ■タグハ…ガリラヤ湖畔、イエスが五つのパンと二匹の魚を分け与えたとされる場所(ヨハネ6章1〜15節)。また、復活後のイエスが弟子たちに現れた場所ともされる(同21章)。Mensa Christi(キリストの食卓)とよばれる岩の記念聖堂では床のモザイクが、また聖堂外ではペトロに牧丈を委ねるイエスの彫刻が巡礼者に出来事を思い出させている。Pasce oves meas. とは「わたしの羊の世話をしなさい」というペトロに対するイエスのことばである。
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