前回へ
目次にもどる
次回へ
   第十三回 使徒たちの宣教 

 ■ ヤッファ…ペトロがタビタという婦人を復活させた町。皮なめし職人シモンの家にいたペトロは、屋上で祈りの時間に幻を見て、神がユダヤ人と異邦人を区別しないことを悟る。折しもカイサリアからコルネリウスの使者が迎えに来たため、北上して異邦人の宣教に目覚めるのである(使徒言行録9章36節〜10章全)。

■ ステファノ…12使徒が共同体の世話のために選んだ7人のうちの一人。その力強い業と聖霊に満たされた言葉が論争相手の恨みを買い、冒涜を理由に最高法院で裁判にかけられ、都の外に引きずり出されて石殺しの刑を受ける。キリスト者として最初の殉教者である。彼の殺害に賛成していた中心人物の一人は青年サウロ、後に回心して異邦人の使徒となるパウロであった。現在のエルサレム城門のひとつ、ステファノ門はこの出来事に由来している。ちなみにフランス語のEtienneはステファノのことである(使徒言行録6章〜8章1節)。

■ 聖霊降臨…伝承によれば、聖霊降臨の舞台は最後の晩餐の行われた部屋であるという。過越し祭の安息日から50日目、五旬祭の日は、ユダヤ教でモーセがシナイ山で律法を受けたとされる日でもある。モーセの律法は諸国民のために70カ国の言葉で記されていたというが、聖霊降臨ではすべての人が皆自分の生まれ故郷の言葉で弟子たちの説教を聴いた。イエスの復活と昇天を体験した弟子たちが、活動を開始したのは聖霊降臨からである。教会の活動はこの時始まった(使徒言行録2章1〜42節)。

 その他 

■ ヒゼキヤのトンネル…紀元前のかなり古い時期にさかのぼるギホンの泉はエルサレムの重要な水源で、間欠泉である。城壁内部(当時)の水汲み場、シロアムの池と水路でつながっていた。旧約のヒゼキヤ王の時代、さらに地下水道トンネルが設けられ、戦時の水の供給を図った(列王記下20章20節)。このトンネルは現在も機能しており、城壁外となったダビデの町で、内部を見学することが出来る。総延長は500メートルを超える。

■ イエス時代のエルサレム…エルサレムは長い歴史の中で幾度もその姿を変えてきている。イエス時代のエルサレムは現在の旧市街と比較して南側に広がっており、シオンの山やダビデの町を含んでいた。したがって、たとえば現在の鶏鳴教会(当時のカイアファの館)やシロアムの池も城壁内部であったと考えられる。一方、神殿域北はアントニオ要塞が城壁北壁であり、ベトザタの池やゴルゴタは城壁外である。この当時のエルサレムを復元した模型がホーリーランド・ホテルの庭に展示してあり、聖書の学習に具体的ヒントを与えてくれる。