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 第十五回 十字架の道行き    Via Dolorosa

        

Veronica
「Veronique」(Federico Zuccari 16-17世紀、ローマ

 歴史…イエスの歩いた十字架の道をたどる信心は、教会の歴史の中で早い時期から何らかの形で存在したであろう。313年のコンスタンチヌス皇帝によるキリスト教公認後、聖地を訪問するキリスト者の増加にともない、聖週間を聖地で過ごそうとする信仰者も数を増していく。受難の追体験である。現在の十字架の道行きの信心は、14世紀以来聖地の管理を委ねられているフランシスコ会が考案し、普及させたと言われている。エルサレムで実際にイエスの歩いた道をたどる「道行き」は、聖地まで行くことの出来ない大多数のキリスト者にとっては与りえない信心であったから、信仰者が自分の今居る場所でもそれぞれ「道行」をたどることが出来るように、絵画や十字架、聖像などが用いられるようになった。元来は自由にイエスの受難を黙想するものであったが、18世紀、クレメンス12世教皇のころ現在見られる14留に定まったらしい。こうして各「留」(statio)毎に黙想と祈りを捧げるようになった。

        十字架の道行の14留…屋外、あるいは聖堂内に黙想を助ける絵画や十字架を据えてあることが多い。それぞれの「留」の主題は以下のとおりである。

@     イエス、死刑の判決を受ける。
A     イエス、十字架を担う。
B     イエス、初めて倒れる。
C     イエス、聖母と会う。
D     イエス、キレネのシモンの助力を受ける。
E     イエス、ヴェロニカの布を受け顔をぬぐう。
F     イエス、再び倒れる。
G     イエス、エルサレムの婦人を慰める。
H     イエス、三度倒れる。
I     イエス、衣服をはがれる。
J     イエス、十字架にかけられる。
K     イエス、息を引き取る。
L     イエス、十字架から降ろされる。
M     イエス、墓に納められる。              

      
第15留…1958年、聖母御出現100周年にあたって整備されたルルドの十字架の道行きは、第15留を設け、「イエス復活する」をテーマにした。以来、第15留を加えた十字架の道行きも行われるようになった。信心そのものは自由にイエスの受難を記念するものであるから、さまざまに応用されうる。たとえばヨハネ・パウロ二世教皇はローマで、聖書により忠実に、「イエスお倒れになる」や「ヴェロニカ」の代わりに、「ゲッセマニでの苦しみ」「ペトロの否認」「回心した盗賊に天国が約束される」をテーマとした道行きを行った。

        
旧約聖書で預言されたイエスの受難…イザヤ書には「ヤーウェの僕の歌」といわれるメシアの受難に関する預言があり、中でもイザヤ52章13節〜53章12節は、イエスの受難を髣髴とさせる。新約聖書でも、7人の選ばれた奉仕者のひとりフィリポが、エチオピアの宦官にイエスによるこの預言の成就を解き明かす場面が描かれている。(使徒言行録8章26〜35節)

        
聖金曜日…教会の典礼暦で聖金曜日(復活祭直前の金曜日)はイエスの受難と死去を記念する日であり、ミサも行われず、午後「受難の祭儀」を行う。これに先立って十字架の道行きを行うことも多い。復活祭を準備する四旬節の期間を通して、回心のための一般的な信心となっている。