年間第4主日

2005年1月30日
マタイによる福音 5・1〜12a


幸せな人
イギリスで子供たちを対象にだれが幸せな人か調査しことがあります。この時はほとんどの子供たちが、カンナのお爺さんのような人だと答えました。
そのお爺さんは名前も歳も知られていない掃除夫でした。彼は家賃も滞納気味だし、独りで自炊しながら貧しく寂しい生活をしていました。しかし、彼には他人の知らない喜びがありました。 それはカンナという花を世話することでした。
彼は家の周りに咲いているカンナや別の花々を見ながら幸せを感じていました。気立てのいいお爺さんはこの喜びを他の人々とも分かち合いたいと思いました。そこで花を植える広い場所を探していたのですが、すぐにいいアイデアが浮かびました。彼は早速、市長のところを訪ねました。

「市長さん、道路際に花を植えさせてください。花を植えてお金儲けしょうというのではありません。」
市長は初め彼をおかしな人と思って断りました。しかし毎日訪ねて来て頼むので結局許可しました。お爺さんは掃除が終わると、暇を見つけては道路際にカンナの種を植えて世話をしました。苦労していろいろな肥料を探して来たりもしました。そしてついに道路際にカンナが花が咲きました。 たくさんの人が花を見に集まってきました。人々が花を見ながら幸せそうにしている姿を見てお爺さんはとてもうれしくなって涙しました。その涙は幸せと喜びの涙でした。

この世で一番幸せな人は自分が好きなことを見つけて、それを楽しみながらする人だといいます。好きなことを見つけてそれにすっかり夢中になったカンナお爺さん、しかも人々がその姿を見て喜んでいる姿に涙したお爺さん、彼は本当に幸せな人です。
彼こそ本当に心の貧しい神の子です。

神のために一生を捧げた人は幸せな人です。
神に従って生きることは険しい山に登ることのように大変そうです。しかし、それは幸せを探しに行く旅であるとも言えるでしょう。なぜなら天の国はその人たちのものであるからです。初めは市長さんに断られたカンナお爺さんでしたが、よい志を持っていたために多くの実を結ぶことが出来ました。
私たちが歩んでいく信仰の道も、また多くの障害物が横たわっています。しかし神様はきっと多くの実で私たちに報いてくださることでしょう。

アーメン

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