待降節第1主日

マルコによる福音 13・33〜37
2005年11月27日


今日は教会の暦では新年の始まる待降節第一主日です。
今日イエスの聞かせてくださるおことばは、「目を覚ましていなさい。」というおことばです。

目を覚ましているとは、楽をしたいという気持ちに溺れてはならないということです。目を覚ましているとは、わたしたちの身の上に生じるどんな些細な出来事をも、決しておろそかに扱わないという意味です。
小さな行いはわたしたちの目には大したことではないように見えますが、魂にあってはとても大切なことなのです。すべてのことのうちに神を見て、神のうちにすべてのことを見るためには、些細なことにも忠実であることが大切です。今からお話しするたとえ話は、小さなことに忠実であることこそが目を覚ましていることである、というお話です。

お正月の朝、川に住むすっぽんは氷のような冷たい水で顔を洗ったあと、年寄り亀のところに新年のあいさつをするため出掛けました。
年寄り亀は砂場に腰掛けて、すっぽんのあいさつを受けました。 そして人生の先輩としてすっぽんに言いました。
「今年は些細なことも大切にしながら暮らしなさい。」
すっぽんが言い返しました。
「些細なこととは小さなことじゃないんですか。大きなことを大切にした方がいいんじゃないですか。」年寄り亀は首を振りました。
「わたしの長年の経験からすると、まことに大切なこととは、やはり些細なことなんだ。
些細なことでも上手に扱っていくことが、うまく暮らしていくための道なんだよ。」
すっぽんが納得できずに首をかしげていると、年寄り亀が説明を続けました。
「些細なことについて人がどのように対処していくのかを見ていれば、誰でもすぐにその人のことが分かってしまうだろう。
些細なことに対して明確であれば、大きなことに対しても明確だろう。だが、些細なことに対して不誠実であれば、大きなことに対してはもっと不誠実に対処するだろう。」
すると、すっぽんが尋ねました。
「じゃあ、毎日の暮らしの中でやらなければならない、些細なこととはどんなことですか。」
年寄り亀が答えました。
「平凡な暮らしを楽しむこと、つまり小さな喜びを感じることだよ。
一日の暮らしの中に感嘆符(!)が絶えてはならないんだ。さわやかな風、すばらしい夕日、きらきらと光る星、青い空。」
すっぽんはひれ伏してお辞儀をしました。
「お年寄りの長寿の秘訣が分かりました。些細なことを大切なこととして感じる知恵こそが長寿の秘訣だったんですね。」

わたしたちの一日は些細なこと、平凡なことの連続です。朝ふとんを上げること、出勤したり退勤したりすること、職場で同僚に笑顔であいさつすること、愛する人に電話したり手紙を書いたりすること、家族の食事の準備をすること、後片付けをすること、これらすべてが平凡で些細なことです。

待降節の始まる今日、イエスはいつも目を覚ましていなさいとおっしゃいます。
毎日わたしたちに忍び寄る怠け癖と楽をしたいという気持ちに溺れてしまうなとおっしゃいます。目を覚ましていなさいとは、小さく些細なことを大切にするということです。目を覚ました姿勢で、新しい年を迎え、主を迎えるとき、わたしたちもイエスとともに喜びを得ることでしょう。

アーメン

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