【フランスの巡礼地C】 ブルターニュの小教区境内Les enclos paroissiaux de Bretagne http://catholique-quimper.cef.fr/enclos.html
ブルターニュの教会芸術が花開くのは15世紀後半からである。特にトリエント公会議(1545〜63)後の反宗教改革、具体的にはブルターニュ地方教会の対応を協議したツールの教会会議が、秘跡を中心とした教会生活の再興を打ち出してからは、小教区境内を舞台に一連の建築・芸術が生み出されていく。こうしてブルターニュ、特にFinistère県に代表される西部地方には、荘厳な南側入口を構えた聖堂、鐘楼、納骨堂、カルヴェール(キリストの生涯を表現した彫刻)、墓地などが「勝利の門」のある塀で囲まれた「小教区境内」(enclos paroissiauxあるいはensembles paroissiaux)が形成され、約70箇所が現存している。ケルト文化起源のブルターニュは、ラテン的な火の地獄のイメージに対し、死を日没、すなわち夜明けまでしばらく太陽が見えなくなるイメージでとらえた。そのため、死は日常のもの、復活と常に結ばれたものであり、小教区境内は生者と死者の出会いの場なのである。
@ 勝利の門Porte triomphale:ブルトン語でPorz ar Maro死の門 Porte de la Mortと呼ばれ、墓地につながる。葬列が通る門である。この門を含む小教区境内が低い塀で囲い地となっている。 A 聖堂:南側入口が特徴。十二使徒が迎え、聖書の物語が彫刻されている。屋根は低く翼廊はない。内部は、秘跡の大切さを教えるために製作された立派な洗礼所、告白場、鮮やかな多彩色の祭壇飾り、オルガン装飾、聖人崇敬のための聖像(たとえばペストからの保護の聖人である聖セバスチアノ)、善終(よい臨終)を想起させる聖ヨゼフ、結婚の秘跡性を教える聖家族など、当時の反宗教改革が力を入れたカトリック信仰教育の中心点をはっきり見ることが出来る。バロック芸術の地方開花としても興味深い。 B 墓地・納骨堂:小教区境内が生者と死者の日常的な出会いの場であることから、誕生=洗礼から始まる典礼生活の舞台がそのまま死後の安息の地ともなっている。
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