受洗の思い出
マリー村田千鶴
2005年3月、神父様は、「洗礼を受けたら十字架の道です。」と言われて、右手に十字架を持って示されました。その時、 肩の力がスーと抜けて、一匙のスープを飲んだときのように、心がホッとしました。パリミッション会・日本カトリックセンターで、カルメル会和田神父様の黙想会に参加したこの時から今日の洗礼への道が始まりました。生きるのは苦しくて いいんだと妙に安心し、続けて聖書の勉強会、日曜日のミサに参加しました。
恵川シスターから旧約聖書を教えていただき、チョウ神父様のミサでフランシスコ・ザビエル藤原さんが日本語訂正の 手伝いをして準備されたお説教を聞きました。その後シスターは帰国され、9月8日のマリア様の誕生日にフランス人の 友人からSt-Ignaceの教会、マッソン神父様(RICCI研究所)を紹介していただきました。
新年度の9月24日、予定通り聖書によるキリスト教入門《公教要理》が始まり、新たにシスター・マリー・エレーヌ、湖山 さんと出会い、弓さん、シトロエンさんから日本語で教えていただきました。同時に、援助修道会のシスター・シモンヌ、 シスター・モニック、原シスター、倉知シスターを紹介していただきました。 パリに来て、初めてカトリックの教えを学び始めましたが、私自身を見つめる過程で、日本で既に料理研究家・辰巳芳子 先生のスープの会の教えの中に同じカトリックの精神に出会っていたことに気付き、その精神は又遠く祖先にまで遡る 私の家族の生きてきた道にも今、合流していると気付きました。 2006年9月、洗礼を受けることを決め、弓さんにaccompagnatriceをお願いしました。月2回の対話で、弓さんから、 日本のイグナチオ教会、浅草教会での神父様との出会い、イエズス会、パリ外国宣教会、宣教師、プロテスタントなど・・ ・のお話を伺い、そして、私は、家族、語学学校での出会い、人間関係などの素朴な質問をしました。
2007年1月、代母を弓さんにお願いし、弓さんは、快く,笑顔で引き受けて下さいました。そして、洗礼名を「マリー」 に決め、2月24日サン・スルピス教会で、パリ司教区の洗礼志願式に与り、VINGT-TROISパリ大司教様から[Bienvenue] の言葉をいただきました。 いよいよ、灰の水曜日から四旬節に入り、パリ外国宣教会のレタンジェ神父様、ドゥ・モンジュール神父様による洗礼志 願者のための祈りの典礼に与りかりました。聖週間からはこの2年間の歩み・・・を見つめました。 ―パリ日本人カトリックセンターの活動と、信者の方々、センターの活動に参加されている方々に導いていただいた こと ―語学学校で、アメリカの多くの大学生、ベトナムのシスター、コソボのシスター、リトアニアのマダム、ポーランドの学 生、ブラジルの神父様、アルゼンチンの女性,スウェーデンの人など・・・がフランス語を学ぶ中に身を置き、黒板の上に ある十字架を見るたびに、「国際平和とは、なにも外交官だけがすることではない・・・」というベジノ神父様の言葉が思 い出されたこと ―「そこの、日本人の方・・・」とマッソン神父様から声をかけていただいたこと ―受難の主日に黙想会で、ドゥ・モンジュール神父様が見せて下さった写真にある2つの「宣教師の十字架」の意味を 教えていただき、さらに1549年に日本にやって来た聖フランシスコ・ザビエルの手に持つ十字架を思ったこと 2007年4月7日復活徹夜祭での洗礼の日を迎え、日本を出る時に母が持たせてくれた着物を身につけ、御聖堂に飾ら れた折り鶴から、千鶴と名づけた父の願いを思いました。そして、ドミニコ会の修道服姿のマリー・エレーヌは今日も笑 顔で私を迎え、日本語で話して下さいました。
センターの方々に見守られて、ドゥ・モンジュール神父様から小さな新し い命の種をいただき、心から嬉しい日となりました。
-神様に感謝いたします。