シスター・マリー・エレーヌに聞く
2006年11月
今年度より、シスター マリー・エレーヌは、センターの責任者の一員としてより多くの活動に関わっていただける事になりました。そんなシスターの横顔を皆さんに紹介する意味を込めまして、インタビューを行いました。
- お生まれはどちらですか?
1932年、ヴェルサイユ生まれです。それは当時の父の仕事の関係で、故郷はフランス西部のアンジェですが、私自身はヴェルサイユで生まれ、その後戦争の影響もありまして、ヴァンヌ、アンジェ、と移り住みました。
- お勉強はどちらでなさったのですか?
あちこち移り住んだ関係でそのたびに学校も変わりました。大学は、アンジェのカトリック大学です。そこにはたくさんの外国人学生がいましたが、その中に多くの日本人もいました。私が日本について知るようになったのはこのときが最初です。そして1955年23歳の時、ドミニコ会のシスターとして働き始めました。
- 日本へ行かれたきっかけは?
大学での勉強終了後、フランス各地で活動しました。そして、私は早くに働き始めたので早くに引退したのですが、ちょうどその時、日本で人を捜しているということを聞きましたので「ちょうどいい、私時間があるわ」と思って総長に手紙を書きました。総長の返事は「ではお願いします」という事でしたので日本に発つ事になりました。当時東京にあるドミニコ会の学校には日本人しか職員がおらず、誰か外国籍の人が必要という状況でした。学校で働くといってもそれはいわゆる仕事ではありません。私達は国際的な修道会ですから、これもひとつの活動なのです。そういうわけで1995年、東京に向けてフランスを発ちました。
- 日本での活動はどのようでしたか?
日本で10年過ごしました。「小学校低学年の子供達にフランス語を教えませんか?」ということでしたので引き受けました。子供たちは皆とてもかわいかったし、同僚にも恵まれ大変幸せでした。校長先生をはじめ、ほかに二人のシスターと私、あとの先生方はシスターというわけではありませんし、皆が皆クリスチャンというわけではありませんでしたが、すばらしい仲間でした。当時私は、日本語がほとんど話せませんでしたが、玉村先生という絵の上手な先生と、そして私は歌をうたうのが得意ですから、二人でコンビを組んで、ずいぶん一緒に仕事をしました。とても楽しかったですし、すばらしい授業ができました。
- この日本人カトリックセンターに来られたきっかけは?
昨年、日本からフランスに戻ってきて、ある日、日本語のミサが私の家からそう遠くない所である、と言う話を耳にしたので、最初はただそれだけの理由で来ました。自己紹介などしてミサに預かり、その後「お時間ありますか?」と言われて話を聞くと、デュノワイエ神父様引退後、洗礼志願者の公共要理の勉強が中断している問題で大変困っているという事でした。私はもちろん手助けしたいと思いましたが、日本語があまりうまくないので心配していたところ、「私達で通訳しますので大丈夫です」とのことでしたので引き受けました。その後、パリの外国人共同体の責任者であるシモンバルブー司教代理様ともお話しして、私のここでの活動が認可されたものとなりました。
- 初めてセンターに来た頃どのような感想をお持ちでしたか?
「まるで日本のようだ」と思いました(笑)。と同時に「だからこそとても重要な場所なのだ」と気付きました。理由は3つあります。一つ目は、フランスに生きる多くの日本人が外国という土地で非常に困難な状況にあります。そういった人々を、働く為というわけでもなく、何かを得る為というわけでもなく、ただ、「どうぞいらして下さい。あなたも日本に居たのですね」と受け入れる場所があるというのはすばらしい事です。二つ目として、母国語で祈り信仰する場所があるというのはさらに重要な事です。聖書の話を母国語で聞き、そして祈る機会はやはり必要です。三つ目としては、多くの日本人が何年かの滞仏の後、日本に戻ります。そういう人々がセンターでのよい思い出を日本に持ち帰ったり、またこちらで洗礼を受けた人が、日本でまた新しく共同体を見つけてクリスチャンとして生きていく。つまり私達はフランスに居ながらにして日本の為にも働いているという事になります。これも大切な事です。
- シスターがセンターで果たされる役割についてお話しください。
私にはシモンバルブー司教様から与えられた任務があります。司教様は私に、神父様の間をつなぎ、そしてまた、司教様を通じてパリの大司教様とセンターを結ぶ架け橋になって教会に貢献してほしいと望まれました。1ヶ月考えた後、引き受ける事にしました。なぜならこういう依頼が教会から出されること自体、センターがいかに重要な存在であるか、という事の証明であると思ったからです。こんな風にセンターと大司教様はつながっているんですね。今年の洗礼志願式において、私がセンターの志願者を紹介した際、大司教様は本当に満足げににっこりとなさいました。ということは、私達はパリの教会を構成する小教区のように一つの重要な要素として認められた存在であるという事です。司教様は私にこの仕事に対する報酬も提示なさいました。それはこの仕事がいかに重要か、という事を示す一つのしるしであるという意味の外に、将来誰かがこの私の仕事を引き継ぐ事になれば、そのひとはたぶんある程度の報酬が必要かもしれないという事もあると思います。私がセンターにいる間は、この報酬は直接修道会に払い込まれます。なぜならこのお金は、私よりも修道会にとって必要なものと言えるからです。この件に関しては手紙によって正式に司教様の同意の通知を受けました。
- 私達は今後センターとしてどのような活動をしていけばよいでしょうか?
パリには本当にたくさんの日本人学生がいます。しかしこのセンターが充分に知られているか?という問題があると思います。特に若い人達にです。私達の存在を知らせる為に広告を出す事もできますね。ただあまりいろいろな人に来られても困る、という問題もありますが、学生を対象にするのはいいと思います。また現在センターに「Esprit? Nouveau」という若い人のグループがあるのはとてもよい事だと思います。日本から来た青年達に、「こういう若い人のグループがあるんですよ」言えますからね。しかし、このセンターをより多くの人に知ってもらう為に具体的にどうしたらよいか、その方法は私自身まだよくわかりません。皆でよく考え、聖霊の働きを待ちましょう。 そして、いろいろな人が集まると、やはりいろいろな問題が起こるものです。私達は人間ですから、間違った事も言うし、揉める事もあります。あのパウロとペトロでさえ言い争っていますね。しかしキリストはおっしゃいました、「私が来たのは正しい人を招く為ではなく、罪人を招く為である」と。イエス様は罪さえも通して私達を助けて下さるということです。何かしようとする時には、よく考え祈る事が大切ですが、勇気を失ってはいけません。
このインタビューは10月15日センターに於いて行われました。
(聞き手 縄野聡子)
-神様に感謝いたします。