ルルド巡礼日記
4月16日(金)朝7時55分、私たちを乗せたTGVはモンパルナス駅を音もなく滑り出した。ルルドへ巡礼旅行のスタートである。ベルトラン師を先頭とする総勢25名の中には、日本から遥々参加された西川宏人先生御夫妻他2組の御夫婦、ついこの間復活祭に受洗されたばかりの縄野聡子さんの姿もあった。
前夜の寝不足組は早くも舟をこぎ始め、朝食ぬきで始発の乗物にかけつけた人たちは空腹を訴える。道中は長いのだ。車窓から見える空は何とも頼りない灰色・・・次第に視野が開けてきて緑の野が続き、その中に広がる鮮やかな黄色は菜の花だろうか?濃い緑は麦畑だ。
菜の花の 四角く咲きぬ 麦の中
先人の詠んだ句は、フランスにも当てはまる。黒松の林が走りすぎ、梢にまりのような形の宿り木をつけた並木が続く。遠くにはのどかに牛も寝そべっている。 刻々に変化するそれらの光景を、電光石火の早業でスケッチする隣人の鋭い目つき。一面にひねこびた葡萄の苗木が並ぶボルドーを過ぎる頃は昼食どき、手作り 弁当が行き交い、横ぶれの車両伝いに食堂車へコーヒーを飲みに遠征する者もいる。その間には今日の午後行われる日本語ミサの役割も決まり、リハーサルも終 わっている。すべて手順よく資料を準備して下さった柴田、飯野、佐々木、飯山、堀井・フーバー諸氏のおかげである。
13時36分ルルド到着、一同色めき立つ。出迎えのバスに乗り込み、雨の中を急な坂道を下ってホテル・ド・パドゥへ。部屋割りがすみ、各々荷物を置いてからロビーに集合。皆佐々木さん考案のブルーと金色メダイユのバッジを胸につけている。では出かけよう。
両側は土産物の店。それを過ぎると聖ヨセフの門で、ここから聖域に入る。あたりの雰囲気が変わるのが感じられる。引きもきらず流れていく人の波、フラ ンスだけでなく外国からのグループも多い。雨に濡れ、コローの風景画のように銀色がかった浅緑の木の葉、その隣の清楚な白い花はこぶしであろうか。ここで は春の訪れは遅くゆるやかだ。
先着の神学生が整えておいてくれた部屋で日本語のミサにあづかる。無事にルルドに来られたことを感謝し、ベルナデットに出現された無原罪の聖母に祈りを捧 げる。終ってから洞窟の方に行ってみるが、その前でミサが始まったとのことで断念し、地下のロザリオ聖堂に入る。韓国語のミサ執行中だった。“泉の水”の 前に並ぶ者もいれば、“無原罪のお宿り”聖堂めざして登っていく者もいる。眼前に聳えるピレネーの峯は雲に覆われ、雨脚はたえまなく傘を打つ。これを恵み の雨というのだと説く者もいれば、清めの水と言う者もいる。いずれにしても雨は一向に降り止む気配はない。慎重派はビニールの雨合羽を買いに俗域に出て行 く。
夕食は7時から始まった。温かいポタージュが運ばれてくる。黒い服に白エプロンのサービスの女性たちが愛嬌タップリ、キビキビとテーブルの間を走り回る。鼻髭 のムッシューはシェフらしく、指図して歩く。広い食堂の三分の二程は賑やかな子供たちのグループが占める。見ると皆同じような特徴のある顔をしている。蒙 古症患者(モンゴリアン)と呼ばれる子供たちだった。リーダーらしい長身の青年が笛を鳴らし大声で何か言うと、一人の女の子が立ち上がり、あちこち向いて おじぎする。期せずして皆がハッピバースデイ・トゥーユーと歌いだす。忽ち食堂全体の大合唱。サービス係の女性たちも、他のテーブルの者も歌いながら拍 手。この子の誕生日なのだ。女の子は嬉しそうにニコニコ笑っている。2人目、3人目の子が立ち上がる。その度に又合唱。子供たちは席を立ちビーズ(軽いキス)をしに走る。何とも和やかな心温まる風景だった。あとで聞いたところでは、青年たちはボランティアで、パリから2組の子供たちを引率してきたとのこと。1組が35人だというから70人はこのホテルに宿泊しているのだった。今年のルルドのテーマは“岩”で、今週はパリから約1000人近くの若者が巡礼に来ているそうである。成る程、夜9時からのローソク行列の時間になると、ホテルの前を何組ものグループが歌いとびはねながら通り過ぎて行った。行列組が同じように歌いながら帰ってきたのはかなり遅くなってからだった。
私たちの巡礼第一夜はこのようにして暮れていった。
4月17日(土) 朝食のあと“十字架の道行き”をすることになった。朝の爽やかな気分の時の方がよい。霧雨にけぶる若葉の色が目にしみるようだ。その中を黙想しながらかなり急な道を登っていく。14箇所にあるキリストの御受難(パッション)を表した彫刻のある留(スタシヨン)を順に巡っていくのである。ひとつひとつの留の前に立ち止まって祈り、そのあとルルドのアベ・マリアを歌いながらゆっくり次へ進む。梢から小鳥の囀りがそれに和す。夫婦連れらしい2人が膝まづきながら受難像への階段をよじ登っていく。5,6歳の男の子を連れた別の女性はデコボコした石の道を跣(はだし)で進んでいく。彼らの胸にはそれぞれ特別の祈願がこめられているのだろう。“キリスト磔刑”のカルバリオの丘から下り坂になる。向きを変えると雲間にかすむ墨絵のような連山が目の前にあった。14の留のあと最後に加えられたのは、洞窟(墓)の入口にずらして置かれた大きな円形の石で、“復活”を象徴する放射状の光線が刻まれている。
10時からロザリオ大聖堂でフランス語のミサに参加する。中央にドームのあるギリシャ十字型 ネオ・ビザンチン形式のこの聖堂はロザリオの聖母に奉献され、喜び、苦しみ、栄えの3部からなるロザリオの15玄義がモザイクで表されている。私たちの前列にモンゴリアンの子供5人を連れた夫婦がいた。“平和の挨拶”の時その子たちが振り向いて握手したので気がついたのである。その穏やかな顔はまさに交わされた言葉“主の平和”にふさわしいものだった。
午後にはバスで近郊のバルトレスを訪問。ベルナデットが長じてから一時預けられていた乳母の家がある山村で、納屋や洗濯場が残っている。当時の農家で 用いた日常機具やベッド、暖炉などのある部屋はそのまま保存されている。向かい側のやや険しい山道を登ると羊小屋があり、羊飼いの少女ベルナデットがその 下で祈りを捧げたという栗の大木があったらしい所は今も林になっていて、去年のものか古い栗のイガが落ちていた。湿った山路には可憐な野生のすみれが紫の 花をつけている。前方には緑の牧場や畑が広がっている。再びバスに乗り、家々の庭に咲き誇る満開の紫木蘭や薄いピンクのリンゴの花、白い梨の花など眺めな がら帰途につく。いつの間にか雲の切れ目から青空が覗いている。陽もさしているではないか、心も明るくなる。“朝はシトシト 昼ポツポツ 夜はザーザー” の天気予報が見事にくつがえったのだ。残りの時間はルルドの市内見物をする。身を寄せ合ってベルナデット一家が過ごしたもと牢獄だったカショーや、のちに 移り住んだ家などを訪れたあと聖域に戻る。
雪解けのガブ川は水嵩を増して勢いよく流れ、その岸辺には陽を受けて小さな草花が咲いている。御出現のあったマッサビエルの洞窟の前には、まだ長い行 列があったが並ぶことにした。鋭く縦に切り削いだような岩の裂目に草が芽を出している。頭上にのびた木の枝に小さい野鳥が飛んできてとまり、囀り出す。 あ、ひよ鳥!と誰かが叫ぶ。歌鳥とも呼ばれる鶫かもしれない。滲み出た水で湿った岩肌を手で触れながら進み洞窟の内に入る。泉が湧き出た場所にはガラス板 がはめられ、色とりどりの花束が捧げられている。前方の高い岩壁のくぼみに“無原罪の宿り”のマリアが出現されたのである。そのお告げの文句がこの地方の 方言でマリア像の足もとのプレートに記されている。泉の水を満たした容器を抱えて歩いていると、城砦のピレネー美術館を訪れたグループが、感激!を連発し ながら戻ってくる。閉館までねばって日没の壯観も満喫してきた由。
夕食には早いがホテルに帰ると、ロビーに昨日の子供たちが荷物を下ろしている。4泊の旅を終えて今夜の汽車でパリへ発つのだそうだ。彼らが去ったあと広い食堂は急に潮が退いたように静かになる。
今夜もローソク行列があるという。夕食後2度目に泉の水を汲みに行った時、わがグループの優男(やさおとこ)がローソクを持ってやってくるのに出会った。私たちは水を置いてローソクを買いにい くのだ。“洞窟の前で待っている”とその優男はやさしく云う。こんな雑踏の中で会えるワケないじゃないの、さっさとお行き!と経験派は現実的で手厳しい。 “だってぼく一人じゃこわいもの”アラそう、と女性たちも同情してローソクを手に戻ってきて探すがやはり出会えなかった。行列は既に動き出していたのであ る。あたりはとっぷり闇に包まれ、その中を無数のローソクがゆっくり動き進む。紙で囲われたローソクの光はぼんぼりの明かりのように柔らかい。風で消える とすぐ隣の人がローソクをさし出す。静々と進む人波は祈りを口の中で唱え、聞こえてくるのはガブ川の流れの音。橋を渡り、洞窟の向かい側辺りまでくると御 出現のマリア像が光の中にクッキリ浮び上る。時折上部聖堂の鐘楼からカリオンがルルドのアベ・マリアを奏でる。行列は立ち止まり、ローソクを高く掲げてア ベ・マリアを唱え歌う。その時である、右手の闇の中を遠く汽車が走りすぎていったのは。パリに向かうTGVだ。乗客の中には先刻の子供たちもいるのだろう。突然窓がいっせいに開き、どよめきと も歓声ともつかぬ声の塊が野を越えて飛んできた。私たちに向けて送られた巡礼の若者たちの挨拶である。ローソク行列は一瞬立ち止まり、高く灯を掲げてこれ に応えた。再び戻った闇の中に熱いものが残った。
行進中気がつくと、大聖堂へ導く回廊の手すりに灯が並んでいる。行列が終り、確かめに行くと、それはローソクを持った子供たちのグループが出番を待っ ていたのだった。彼らは動き出して階段を下り隊伍を組む。今度は私たちが手すりにもたれて行列を眺め下ろす番だ。ふと頭上を見上げると雲間から星が1つ、 2つ、3つ、4つ・・・行列に目を落とし、再び見上げると雲にかくれていた。又してもかくれん坊だ。迷子の優男もどこからともなく現れて合流し、仲好く 揃ってホテルに引揚げてきた。
3日目の18日(日)最後の朝食をとる。荷物を地下室に下したあと、既にお馴染みになった道を地下大聖堂へ向う。正式名は聖ピオ10世地下大聖堂と呼ばれるこの聖堂は、2~3万人収容可能の世界でも最大規模の建造物で、ノアの箱舟をイメージしたといわれる。病人を乗せた車椅子を押したり曳いたりして、シスターやボランティアが入場する。子供たちのグループはじゅうたんを敷いた地べたに横坐りして固まっている。復活祭1週間目のこの日 参加者は多い。私たちは祭壇の見える場所に席をとることができた。所々に据えられたスクリーンに映像が大写しになる。2人の男の子が口をとがらせて言い争いをしている場面が出る。本人たちは撮られているのを知らないらしい。後からシスターが仲裁に入り2人はふくれ面をして正面を向く。
愈々 国際ミサが始まる。次々にミサの次第やコーラス隊、ラテン語の歌の字句がスクリーンに放映される。ミサ用語はフランス語、イタリヤ語、スペイン語、英語、 ドイツ語、オランダ語とさまざまだ。老若男女、健康体の者、病者たちが国境を越えて一堂に集まり一緒に歌い、敬虔に祈りを捧げて体験を共にする。巡礼の目 的とはこれであろう。祈りが、歌が、交わすまなざしや握手が、知らぬもの同志を結びつける。受けた恵みと喜びを心の灯として、大切に他の人に伝えていく。 愛とは主が自ら示されたように他人への奉仕、献身、へり下りであり、それは又喜びでもある。ここルルドにはそのすべてがある。新たな希望で強められ、人々 は散っていくのだ。
それぞれの感慨を胸に秘めて私たちはホテルに戻った。昼食後ロビーに集まり、この短くはあったが内容豊かな巡礼旅行のしめくくりとして、各自ひと言ずつ感想を述べ合う。グループの中唯1人の水浴体験者、フーバーさんの報告は皆を羨ましがらせた。
迎えのバスが来て駅に向う。ピレネーの峯は再び雲にかくれ、雨はよくぞと感心するほど降りに降った。後ろ髪をひかれるとはこのことだろうか。だが感傷に浸る間もなく列車がホームに入ってくる。帰りの車中で一行は旧知の如くすっかり打ちとけくつろいで、この3日間に体験したことをあれこれ思い起こしながら話に花を咲かせた。話題は聖俗交えて極めて豊富且つ有益であった。しかし始めあれば終りありの例えのように、話が佳境に入りかけた時、私たちのTGVは15分遅れてモンパルナス駅に滑り込んだ。ルルド巡礼の旅程はここに無事完了したのである。
ベルトラン師を始め、企画・運営・実施面でお世話になった方々、又協力を惜しまず、この旅行を快適なものとして下さった参加者各位に、心からお礼申し上げたい。
ルルド巡礼十首
ゆるやかに 春めぐり来て 新しき 生命(いのち)ぞ息吹(いぶ)く ルルドの里に
霧雨に けぶる若葉の山道を 御受難想い 登りゆくなり
雪どけの 流れも迅(はや)きガブ川の 岸辺に咲けり 小(ち)さき草花
灯(ともしび)を 手に祈りつつ巡りゆく 群(むれ)に混じりて病む人ありき
雲間より 星またたきぬ 地には灯(ひ)を捧げ祈りて 歩む人波
戻りゆく 汽車の窓より野を越えて 届きし声に灯(ひ)もて答えむ
ミサ終えし 地下聖堂を出できたる 病む子供らの顔輝きて
付き添いの 若者立ちて手を振れば 子らは歌えり
ハッピーバースデー
羊小屋に 至る小路は険しくて そこ此処に散る 去年(こぞ)のいが栗
ゆかしきや ここにも咲きぬすみれ草(ぐさ) ピレネーはまだ雪衣にて
(ドベルグ 美那子)