第三回 イスラエルの巡礼地
シナイ山 契約締結の地 ホレブ山
■ ジェベル・ムーサ(モーセの山)…シナイ半島南部、標高2291mのこの山に、4世紀ごろ東方教会のキリスト教徒(おそらく隠遁者)が住み始めた。モーセが見た「燃える柴」がそこにあるという伝承によるものらしい。以来、この山はシナイ山として巡礼者を集めるようになった。十字軍時代に作られたといわれる石の階段を登ることができ、山頂には小さな記念聖堂も建てられている。シナイ山は神の山であり、神と出会う場所である。モーセが初めて神と出会ったのも(出エジプト記3章)、エジプトから脱出した民が神と出会い、契約を結んだのも(出エジプト記19章)ここである。後の時代、バアルの預言者との対決の後、命を狙われてここに逃げてきた預言者エリヤも、ここで神の言葉を聞いている(列王記上19章)。なお、出エジプト記19章18節の記述により、火山であったと言う説もある。
シナイ山頂に佇む巡礼者■ 聖カタリナ修道院…4世紀以来キリスト教徒が住みはじめたシナイ山に、6世紀に皇帝ユスティニアヌス1世によって東方教会の修道院が設けられた。そこはモーセが見た「燃える柴」(出エジプト記3章1~5節参照)があったとされる場所で、現在でも「燃える柴」と言われるものがある。修道院の名はアレキサンドリアの聖カタリナ(4世紀の殉教者といわれる人物)の遺体を天使がシナイ山に運んだという伝説に由来している。16世紀以降は独立した修道院である。1844年、この修道院で聖書の貴重な写本が発見され、「シナイ写本」として研究されている。
シナイ山を下る■ YHWH…ヘブライ語の文字には母音がない。そのため読み方は教育によって伝えられる。ところで、十戒の規定により「神の名をむやみに呼ばない」ために、紀元前3世紀以降、神の名にあたるYHWHという語は「アドナイ(わたしの主)」と読み替えられてきた。後にキリスト教が独自に聖書を読むにあたって、書かれた子音と読み替えた単語の母音を混同して「エホバ」という固有名詞が生まれたが、これは現在、混同の結果であることが知られているためキリスト教会では用いられない。
■ 安息日の遵守…十戒の第4戒に明記された安息日は、「天地創造」(創世記2章1~3節)、「エジプトからの解放」(申命記5章12~15節)、「神と民の契約」(出エジプト記31章13~17節)という三つの重要な出来事の記念を行う、週の第7日である。もっとも基本的な宗教的義務の一つで、ユダヤ教では土曜日が、キリスト教徒にとっては「主の日」、すなわちキリストの復活の日である日曜日がこれに代わる。